第111回 戦艦美少女かぁ...。
2014.02.01
若い人たちの話を聞いていて、驚いたことがある。やたらと、戦艦や巡洋艦、駆逐艦の名前に詳しいのだ。やがて、ツイッターなどの呟きから、その理由を知ることになった。
どうも戦艦をテーマにしたようなゲームが流行しているようなのだ。可愛い女の子のアニメに擬人化された旧日本海軍の戦艦、重巡洋艦(艦娘-かんむす-と呼ばれているらしい)を育てていき、最強艦隊を作るというのが目的なのか。
戦艦美少女たちはセーラー服っぽかったり、軍服っぽいコスチュームで、腕に砲台を装備したり、甲板を楯のようにつけたりとなかなかチャーミングなのだ。とりあえずパソコンで、知っている代表的な戦艦を画像検索してみた。戦艦武蔵、戦艦大和、戦艦長門......。
どれも、足がすらりと長く、胸のでっかい美少女に描かれていた。戦艦というのを忘れて、ぽかんと見入ってしまった。
そのとき、同時に思い出したことがある。私の母方の伯父のことだ。
私の中学時代「英語と数学は基礎が大事だから」と母に言われて、夏休みに伯父の家に勉強を習いにいったことがある。伯父夫婦は、熊本市の北部で貸本屋を営んでいた。朝の9時から夕方まで、伯父の家で商売道具の貸本に漬かるようにして過ごした。伯父は頭も鼻髭も総白髪で痩せていた。貸本屋の店の奥に座り、鼻眼鏡をして読書に耽っていた。そんな伯父を見て、こんな年寄りに英語や数学がわかるのだろうか、訝しんだものだった。ましてや、ランニングにステテコ姿でいたのだから。伯父は新聞のチラシの裏に英語と数字の問題を書き、私に渡す。その問題を解いて伯父に返す。問題集のような洒落たものではなかった。間違った答えのとき、叔父は怒りもせずに淡々と、どのように解答を導くかを教えてくれた。英語もペラペラ話したし、代数も魔法のように解を導いた。だが、奇妙に思ったのは「X」を「エッキス」と発音し、「Z」を「ジー」と発音したことだ。私が「エックス」と「ゼット」だと抗議すると、動揺もせず「学校で習ったことを優先しなさい」と言った。絶対に感情を見せず、静かにうなずく人だった。午前中、勉強をやると、午後は貸本をひたすら読んだ。源氏鶏太も海野十三も伯父の貸本屋で憶えた。疲れると店の隅でいつの間にか午睡していたことがある。それでも伯父は私が目を覚ますまで、揺り起こすことも怒ることもなく、ほっておいてくれたのだ。タバコも喫わないし、酒も飲まない人だった。
家で、母から聞かされた。なぜ、伯父が英語や数学に明るいのかと質問をしたときだ。「海軍の軍人さんだったからよ。軍服できりっとしていた。中佐だったから。すごく頭が良かったの」その伯父が駆逐艦「秋月」の艦長であったことを知ったのだった。だが、私の中での"絶対に怒らない""口数の少ない""優しい目をしている"伯父と、駆逐艦艦長であったという伯父が、どうしても結びつかなかった。別人ではないかと思ったほどだ。
中二のときだったと思う。私は伯父に「海軍で戦争へ行ったんだよね。伯父さんは」と尋ねた。伯父は、遠くを見る目で「ああ」と答えた。
それ以上は何も話すことはなかった。
大学の頃、伯父が艦長をやっていた「秋月」について書かれたものを目にした。
1943年10月エンガノ岬沖海戦で「秋月」は空母「瑞鶴」を護衛中、艦中央で火災が発生。総員退去命令後、沈没。「秋月」乗員183名が戦死している。米軍証言では、空母「瑞鶴」に命中する筈だった魚雷を「秋月」が楯になった、と証言している。その瞬間の真実が何かは不明だが、乗員を多数戦死させたことは伯父の中で、それほどの重さを持っていることを知った。
私が社会人になって伯父の通夜に出たとき、伯父の部下だった方々が多数集まってこられた。そのとき、私は中学時代から接した伯父の、軍人としての姿を初めて耳にすることになった。艦長としての判断力の機敏さ。適確さ。そして責任感。
総員退避命令後、伯父は一人艦長室に残ろうとしたのだという。それを部下の方が殴り倒し、気絶させてから運び出されたのだと聞いた。
他にも、驚くべきエピソードをいくつも聞いた。そして、そのどれも私が知っている穏和な伯父とは、別の人だった。生存している部下の方たちから慕われ続けていることが、そのときの私には何より嬉しかった。
百か日の法事のとき、伯母から「好きな本があったら形見に持っていっていいよ」と言われて伯父の本棚を覗いた。伯父が私が貸本屋に通っていたときに何を読んでいたか興味があったからだ。
書棚にはインド哲学の本がずらりと並んでいた。同時に私に戦争について伯父が安易に語らなかった理由がわかった気がした。
もし「秋月」が美少女に擬人化されたらどんなものになるのだろう。そして、それを伯父が見たら、どんな感想を漏らすのだろう?
そんなことを、ふと考えてしまった。