第116回 ゴホンガゼ食べた!
2014.07.01
そのときは謎だったことが、数年の後のある瞬間に、なるほどそうかとわかることがあります。
若い頃に天草の御所浦に行ったときのこと。港の近くに魚屋さんがありました。で、お店の外にドラム缶があって水が張られており、何だろう。魚か貝の生け簀なのかと覗きこんだら、魚も貝もいない。ただ、中にはビッシリとヒトデが?
なぜ、ドラム缶の海水の中にこれだけの数のヒトデがいるのだろう?
謎でありました。
穫れた魚に混じって網の中に入っていたのだろうか?だったら、すぐに海に戻せばいいことではないか?
ひょっとしたら、このヒトデは何かに利用されるのではなかろうか。肥料として農地に撒かれるのだろうか?いや、他の道具として使うのかもしれない。表面はゴリゴリしているようだから御所浦の方たちはヒトデを軽石代わりにお風呂で使っているのだろうか?
御所浦には、そのとき化石を掘りに行ったのでした。宿で美味しいお刺身を頂いた記憶しかありません。しかし、ドラム缶の中の無数のヒトデの印象は強烈に心に焼きついています。それからすぐに海上タクシーに乗り込んだから、謎は解けずじまいになってしまいました。なぜあのとき魚屋さんに「このドラム缶にあんなにたくさんのヒトデを入れているんですか?」と尋ねなかったのか。心に妙に引っ掛かっていました。
天草の御所浦は島なのです。おいそれとは行けません。
それから、どれほどの時間が経過したことになるのか。
テレビのチャンネルを切り替えていたとき、目に飛び込んできた映像。
ヒトデを食べていた!
すぐに、カメラは切り替わってしまいましたが、間違いない。場所は国内。どこかの磯でヒトデを茹でて食す風景が。しかも、天草でした。
御所浦の魚屋で見たドラム缶の中のヒトデの謎が一瞬で結びつきました。
あの無数のヒトデは食用で、販売用だったのか!
同時に脳裏に浮かんだのは、天草の人々が食卓で一家揃ってヒトデを持ちながら笑っている場面でした。不気味だ、という思いより、どんな味だろう?という疑問。
それから、天草に足を延ばすたびに生け簀のある活魚専門店を覗き、ヒトデがないものか探しました。
ありません。それでも天草では質問します。
「ヒトデとか、食べないんですか?」
「聞かないね」と返事が。天草ならどこでも食べるというものではないようです。あのテレビで一瞬見たのは、天草のどのあたりなのだろう。御所浦出身の方にお会いしたときに尋ねました。「ヒトデ食べていました?」
「いや。食べませんでした。でも、そんな話聞いたことはありますよ」と、あやふやな返事。
その頃は、インターネットですぐ調べることができる時代じゃなかったからなぁ。
それからまた時間が過ぎます。
栖本町に神社や妖怪あぶらすましの出現場所を見に行ったとき。「ヒトデとか食べますか?」「ああ、ゴホンガゼなら、ここいらは大潮のとき、獲って食べる人はいるよ」
聞きなれない名が飛び出しました。どうもゴホンガゼがヒトデのことらしい。「今、そのヒトデ......ゴホン何とかは食べられますか?」
「うーん。この時期は食べないよ。桜が咲いて、梅雨前までだろう」と謎の言葉。
絞りこみました。天草でも上天草の東海岸を中心としたエリアだけの食文化のようでした。食べる季節も決まっていて、3月下旬から6月上旬。なぜ、限られた土地でしか食べないんだ。不味いのか?
それから、私の想像の中だけでヒトデ料理は成長していきました。いや、想像というより妄想ですが。
その頃架空の天草の島を舞台にした「壱里島奇譚」という小説を書いたのですが、この中でイソギンチャクの味噌汁とヒトデ料理の描写も入れました。つまり想像で書いたんです。
食べ過ぎると頭が痛くなる。ほろ苦い。いろんな情報が入ってきます。
そして、今年ついに、天草の某旅館で食べることが出来ました。その日は入荷していたとのこと!
テーブルの上に茹でたてのヒトデが。裏の皮の下に黒っぽい黄色の粒がびっしり付いています。「そこを食べてください。ヒトデの卵ですから」
食べました。体内は卵だけしかないんです。ウニがほろほろとした感じというか、蟹の味噌にも似ている。
長年の謎が解き明かされた瞬間でした。
どんなヒトデでも良いわけではなく、そのエリアで、食べられるのは「キヒトデ」という種類だそうです。淡白です。ここで、ふと気が付きました。
焼酎にぴったり!白岳のロックにぴったり。こんなに相性が良いとは。
ガゼとは、ウニのことらしい。5本足のウニでゴホンガゼ。なるほど。
「これを名物にすれば観光客を集めることができるのではありませんか?」
「昔ほど獲れないんですよ、残念ながら。今年は特に」
「そうですか。ヒトデ不足なんですね」と思わず口にしたら、宿の方に異様にうけてました。