第12回「五木の子守唄」
2006.06.08
人吉の北に五木村がある。
山歩きで仰烏帽子(のけぼし)山に登ったりするのだが、他に何を五木村で連想するかというと、五木の子守り唄である。全国の子守唄の中でもかなりポピュラーなものではないだろうか。
昔、五木村の農民たちは貧しく、小作の家では人吉の商家に娘たちを出稼ぎに出すしかなかったらしい。だから、五木村には子どもたちと別れた子別峠という地名も残っている。
哀愁をおびた子守唄だなぁと、昔は単純に考えていた。最近じっくり聞いてみた。
な、なんとこれは黒人が抑圧下で生み出したブルースと変わりないのだ。悲惨な唄である。
自虐の詩でもある。
そんなふうにしか聞こえないのである。
本来、働き先の赤ん坊をあやす唄だが、ほぼ内容は、やけっぱちである、何の夢もない女の子たちの労働歌である。
では、五木の子守唄の歌詞を紹介してみよう。
♪おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんど
盆が早よ来りゃ、早よもどる
おどんがうっ死んじゅうて誰が泣いてくりょかい
うらの松山 蝉が鳴く
おどんがうっ死んだら、道端ゃ埋けろ
通る人ごち はなあぐる
はなは何のはな ツンツンつばき
水は天からもらい水
おどんがお父っあんな、あん山おらす
おらすと思えば行こごたる
まだバリエーションはあるが、代表的なものだ。
では訳します。私の耳に聞こえた意味で。
『お父さんは奉公に出すとき、盆まで勤めてくれと言っていた。だから私は、ここには盆までしかいないからね。長居はしないよ。盆が早く来れば、早く戻るんだから。
でも、それも本当か嘘かわからない。父さんもその場しのぎで人買いの前でそう言ったのかもしれない。だったら私が死んでも、誰も泣いてくれる人はいないってことか。
まぁ、裏の松山のうるさい蝉の鳴き声くらいかなぁ。
そんなことだから、私が死んだときは道路の端にでも埋めといてくださいよ。それが私にはお似合いかな。まぁ、通る人がハナをあげるでしょうから。
ハナって・・・鼻押さえてチーンとする洟くらいかな。
あ。ハナって・、他にもあるって?そう。ツン、ツン、つばき。椿じゃないんだよ。通行人が私が埋められているところに唾棄しながら行くってことなんだよ。水は雨水で野晒しってことだからね。ホント救いがないねぇ。悲惨だねぇ。
でも、私の父さんがいる山は、あそこに見えているんだよね。山のあなたの空遠く、幸い住むと人が言うくらいだから、背中の子をここに置き去りにしてでも行きたいなぁ』
超意訳ではありますが、五木の子守唄は、私の耳には、そうとしか聞こえてこないのだ。
十歳前後の女の子が、親元から引き離されて子守りをするというのは、今なら完全に人権問題かなと思うのだが。
ほんとに、昔って想像を絶する悲惨なことがあったんだなぁ。