カジシンエッセイ

第143回 震災ハイが鎮まって

2016.10.03

 震災直後に出たパワーは何だったのでしょう。あのような状態を、どうも震災ハイと呼ぶようです。とにかく、こんなときにへこたれてはいけないと、水を求め物資を探して駆けまわったことを思い出すと、まるで嘘のような気さえする今日この頃です。
 ほとんど眠らずに片付けをやり、仕事場で書きまくりました。水か使えるようになってシャワーを浴びたとき、身体の方々に青あざができていたのに気づき、なぜこれで痛みを感じなかっただろうと不思議でした。
 ハードボイルド小説を読んでいて、やたら血走った人物が出てくると、アドレナリンが匂うような気がする!と表現されたりします。どうも、震災当時の私もアドレナリンの分泌が増えていたようです。ほら、『アドレナリン』という映画があったではありませんか。アドレナリンを抑制して死に至らしめる毒を盛られた主人公のジェイソン・ステイサムは、助かるために興奮状態になって体内にアドレナリンを出しまくらなくてはならなくなるって話。
 あれですよ。
 アドレナリンは副腎皮質から分泌されるんですが、ストレスに晒されたときに出る。たとえば、戦争時とか、凄まじい恐怖に遭った時とか。もちろん、命の危険を感じる震災とかは、アドレナリンが出るには理想的な状況。
 アドレナリンの影響を受けると、のべつ覚醒している状態で、瞳孔は開きっぱなし。戦場では大怪我をしても痛みをあまり感じなかったりするのもアドレナリン効果。火事場の馬鹿力もそう。瞬間的にふつうではとても持てない重いものが抱えられたりとか。火事場のアドレナリンですね。副作用としては消化管運動低下がありますが、これも思い当たります。4月24日の深夜のこと。熊本地震からちょうど一週間過ぎたくらいかな。突然きりきりと胃が痛み始めたのです。もう何とも辛抱たまらん状態で、どの病院に行くんのがいいか迷って、地域医療センターの救急外来に飛び込みました。それが午前3時。地震の後、まだ救急外来は対応していないと受付で言われたのですが、悶絶状態で苦しんでいるのを見かねて、救急外来の担当ではないお医者さんが診てくれたのです。
「胃癌か十二指腸癌ではないでしょうか?」
「とりあえず薬を出しておきます。家の被害はどうでしたか?」
「壊れています。娘の住まいで暮らしています」
「そうですか。痛みはそのストレスからかもしれません」
 つまり、アドレナリンの典型的な効果が私に現れたようです。
 震災から日が経つにつれて、あれほど復旧作業の合間に書けていた原稿の量が下がっていきました。それに比例して胃の痛みも鎮まっているのですが。
 今は我が家は解体寸前で、しゃかりきに後片付けをやってるつもりです。
 ゴミを分別し、運び出し、再利用できるものはそのように。
 新居の建設中に仮住まいするところにも生活のための荷物を毎日、蟻さんのように運ばなければなりません。そこで不思議なこと。
 なぜでしょう。
 午前中4~5時間荷運びをすると、全く身体が動かなくなるのです。
 午後は仕事をしなくては、と心の焦りはあるのですが、だめだなあ、ちっとも字数がこなせない。
 震災ハイ効果がなくなったのでしょうか?
 このように心理的、肉体的に、思いもかけなぬ影響を震災は与えたようです。
 他にもいろいろな影響を聞きました。
 本震直後に私たちは自家用車の中で寝泊まりしたのですが、同じ姿勢で長時間過ごし、足の血管の詰まりからエコノミー症候群になってしまった人も。おかげさまで私たちの車内生活は短期間だったので、あまり影響はありませんでした。
 後々に知ったことですが、震災後は認知症が進行するということがわかったそうです。
 急激な環境の変化。地震のときのショック。いろんな要素が絡み合ってのことのようでした。
 私の母も百歳近くで、今はケアハウスにお世話になっています。母がいるのは仕事場の近くなので、ほぼ毎日、休み時間を取って会いに行くようにしています。ですから、その震災後の認知症進行の報道を見た日は、いつもより注意深く観察しました。
「調子はどう?」と尋ねると、母は言いました。
「最近は餡ものを食べてないから、食べたいよ」と。ほう、これだけはっきりしていれば、認知症は大丈夫かな。
「この間、伊勢から赤福買ってきてあげたでしょう」と言うと、母はすかさず「そうだったかなあ。歳とってボケたから、よう覚えとらん」と。
 うん、うん。大丈夫。 

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