カジシンエッセイ

第146回 年男のモノローグ

2017.01.04

 私のことを知りたいのかい?もの好きだね。
 仕事かい?"年男"ってやつをやってるんだが。
 同僚は私の他に十一人いて、大昔からこの職に就いているんだ。といっても別に働いているわけではない。当番制だ。自分の番が廻ってきたときだけやればいいから気楽なものだ。
 あ。ありがとう。飲まないんだ。
 ふだんは、人間社会に紛れ込んでいる。人の姿に見えたり、姿そのものが周りから見えてなかったりと色々だ。姿が見えていても、あまり目立たないかもしれない。公園や家のベンチに座っているとあまり平凡すぎて誰も私に注意を向けることはない。
 そんなとき何をしているかというと、まあ、何もやることがないからぼんやりしている。たまに気がつく人がいても、どこかのホームレスが世の中を悲観してしょげているんだろう。まあ、自分には関係ないことだと、そそくさ立ち去ってしまうのがオチだ。
 実は、それが、"年男"の私。
 ぼんやり見える私だが、同僚の仕事ぶりはうまくやっているか注意深く観察させてもらっている。しかしよく私のこと気がついたね。
 私はトリ年の"年男"。
 年男は当番の年になると大忙しだ。その年の正月は目がまわる程だ。年男がその一年の世の中のイメージを決定づけるのだから。
 ネズミ年の年男は、子孫繁栄のイメージを世の中に撒き散らす。繁殖率が高いことで、そんな連想が働くのだろうね。ちょこまかと動くので行動力を示しているようでもあるし。
 ウサギ年の年男は、見るからに優しそうだが、声をかけると言う言葉も穏やかだ。この男の担当年はそういう風に何事もなく過ぎていくのだろうなと思えたのだが、臆病な面は海外からわかるらしい。ウサギが優しいムードをつくろうとしている年は、海外が挑発してくることもよくわかるよ。
 よくしたもので、翌年の年男はタツが引き受ける。タツになると、国には国防に積極的なムードが広がっていくからね。
 だからといって、その年の年男のイメージで完全に一年の流れが決定づけられるということではないよ。ムードには染まるものの、気象条件や地殻条件で大きな変化が生じることだってある。
 サル年だった去年がそうだ。サル年はシンボルカラーの赤ですべての運気を上向かせるということだったろう?確かに、そのような年明けで経済的に世の中は上向いていくムードに包まれていた。
 だが、各地の天変地異までは予測がつかなかったはずだ。
 サル年の年男は、「まあ、俺なりに盛り上げたつもりでいるよ。ただ、俺たちが世の中を動かしているわけじゃないからな。俺たち年男の役割ってムードメーカーなんだ、と思うよ。囃し立て屋というか。宮廷のハーレクインのようなものだよ」
 そうかもしれない、と私も思ってるさ。
 あくまで、年男の役割は人々の前に姿を表すことではない。世の中の人々は私のような年男のアバターの獣をイメージして一年を過ごすことになる。
 実際の年男は、私みたいに冴えない貧相な中年男の姿をしているのだが、人々は年賀状に私たちの毎年のアバターを喜んで載せている。
 もうわかるだろう。年男がどんな働きをするのかは。
 今年も年明けと同時にすべての神社仏閣を駆け巡った。すべてのテレビやネット画面の中で目にも留まらぬ速さで動き回った。
 そのような動きから連想するに、私に一番近いのはサンタクロースかもしれないな、と思ったりする。人々はサンタクロースを見たこともないのにイメージを作り上げている。いるのかいないのか?でも確かに幼い子供たちにとって、サンタクロースは存在してその役割を果たしているのさ。
 年男の私もそんなものだろうと自分に言い聞かせている。
 おっと、隣の席に座った縁だけで十分だ。
 盃は気持ちだけ頂くよ。酒はご法度なんだ。
 昔はよく飲んだよ。トリ年って酒年と書いていた程だからな。おかげで非番の年に飲んだくれて自分の番が巡ってきたとき、年男の役が果たせない泥酔状態だったというわけだ。
 私の上司は怒りまくってな、私に禁酒命令を出しやがった。
 で、それまでトリ年は酒年と書いていたのを、サンズイヘンを取り上げて、酉年にしちまった。
 だから酉年は酒に縁のない、早起きの規則正しいイメージになってしまったというわけ。
 少しはトリ年の年男の私のことをわかってもらえただろうか。
 隣は水ばかり飲むやつだと不思議に思っただろうな。いや、どうでもいいよ。そんな冴えない親父がいたことを時々思い出してくれればね。おやおや注意して帰んなよ。あんたこそ酒年にふさわしい、立派な千鳥足になっているじゃないか。

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