第152回 "黄泉がえりagain(アゲイン)"始まるよ
2017.07.03
タイトルを記しただけで何とも懐かしい気持ちになってしまいます。
前の「黄泉がえり」を熊本日日新聞の夕刊に連載したのが、1999年の4月から、2000年の4月1日まで。
おや。ということは、書いたのは20世紀ということになるのか。
熊本の新聞に連載するので、地元愛に溢れた内容にしようと思って書いたことを覚えています。
ご存じない方のために、簡単に物語を説明します。
ある日を境に熊本市を中心とするエリアで、死者が蘇り、帰宅するという現象が多発します。ゾンビのような状態ではなく、生前のままの姿で。亡くなった年齢で蘇るので、若くして世を去った父親より子どものほうが年齢が上ということもあり得ます。また、病死していても蘇ってきたときには健康な状態です。
で、この現象が発生するのは熊本市を中心とした限定したエリアです。蘇った人々は、この地域から出ることができません。出た瞬間に消失し、再びエリア内のどこかに出現します。
やっと行政が対応に乗り出す頃、巷では帰ってきた人たちのことを「黄泉がえり」と呼び始めるのです。
「黄泉がえり」には、いくつかの条件があることがわかってきます。誰もが黄泉がえってこれるわけではありません。その死者のことを慕っていた人、愛していた人が存在すること。どうも人間の想いが死者を黄泉がえらせるようなのです。
亡くなった人の形代(かたしろ)、遺髪、爪、へその緒、骨など体の一部も必要です。これらは、エリアの外から持ち込んでも大丈夫。
黄泉がえった人たちは未知の宇宙生命体の触手にあたるのではないか、という仮説を唱える人たちが現れます。熊本市エリアの地下に溜まっていた地震エネルギーを餌にするために飛来した宇宙生命体が、人間の"想い"に反応した結果、この現象が起こったようなのです。
そんな中、行政はどう対応したか。社会は、どのように反応したか。そして「黄泉がえり」を迎えた熊本の人々は、この事態をどう感じたか。いろいろな状況をシュミレートしてみた小説です。ですから、作者としては"泣けるホラー"はあまり意図していませんでした。
映画化もされたので認知が広がりましたが、夕刊に連載されていたときから「黄泉がえり」は話題にされることが多かったと思います。空想ホラ話ですので、よりリアルに読んでいただこうと、新聞読者の方がよく知っている市役所やホテル、町名や施設名をそのまま出しています。それがうまくはまったのかな、と思います。
最後、黄泉がえった人々は、地震災害から熊本を守るために自分たちを犠牲にして、皆消えてしまいました。ただ一人を除いて。
さて、「黄泉がえり」の続編ですが、熊本日日新聞夕刊の紙面が刷新されることになり、そのタイミングに合わせて連載がスタートします。7月1日の土曜夕刊が第一回。
17年ぶりです。
「黄泉がえり」の続編を書くよと言ったら、皆、「また最後は黄泉がえった人たちがいなくなって終わりかよ」と。
内緒です。
17年という時間のの経過で熊本も変化しました。大きな地震も体験しています。当然、そんな背景で新しいエピソードを展開させるつもりです。
同じパターンで展開するのなら続編を書く意味はありません。
今回の「黄泉がえりagain(アゲイン)」では、黄泉がえりのレベルをパワーアップさせるつもりでいます。既に前作で行政は「黄泉がえり」の洗礼を受けていますし、震災対応も、危機管理学習もできているので、対応に右往左往する行政の描写は少なくなるでしょう。
その分、エピソードごとの密度を高めていこうかなと考えています。
また、再度、黄泉がえり現象が熊本で起こる必然性ですが、これが一番考えました。そして、なるほど納得できると思えるものが見つかったのです。これで、いける!漫画などで頭の上で電球が輝く場面がありますが、思いついたときの私は、きっとそんな気分だったのでしょうね。
物語の中で黄泉がえりが発生し始めるのは、7月中旬過ぎあたりからと考えています。熊本市内は7月盂蘭盆をやる家が多いんですよ。黄泉がえり現象が始まるのはご先祖の霊が戻ってくる日というのが、一番スムーズかなあ、と思うのです。
他にも、えっ、そんな「黄泉がえり」もアリなの?と驚かれるような現象も考えています。
どうぞ、よろしくお願いします。
そして、県外の方は、一冊にまとまる日をお楽しみに。