カジシンエッセイ

第157回 秘湯を訪ねて...!

2017.12.01

 肌寒くなると、じっくりと温泉に入りたくなる。 小国にある寺尾野温泉を思い出した。熱過ぎず冷た過ぎずいつまでも入っていられる。
 温泉旅館というわけではない。地域の人々が使う共同浴場だ。かけ流しの素朴な風呂だ。
 野原にぽつんと建っている。
 まさに私の中では秘湯という位置づけだ。
 私がその温泉を知ったのは、今はもうなくなってしまった登山用品のお店のご主人に教えてもらったからだ。
 くじゅう方面へ行く予定があり、ガスバーナーのボンベのガスが残り少なくなっていたので、店に買いに行った。そして店のご主人と雑談。くじゅうは冠雪の可能性があるからというアドバイスで、軽アイゼンも買った。
 くじゅうの山登りの話になり、午後3時頃には下山して温泉に入るつもりでいると話した。すると、ご主人が「私が一番好きな温泉は、そちら方面なら寺尾野温泉ですね」と。
 私が初耳だと告げると、目を大きく開き、信じられないという表情を浮かべた。
「そんなにいいんですか?」
「素晴らしいどころではありません。秘湯の極みですよ。一度訪れたら、もう、あちら方面では他所には行けませんよ」
 そこまで言うか。
「どの辺にあるんですか?」
「教えますね。小国は、わかりますね」
「はい、わかります」
「小国の町から木魂館を目指します。すると、その手前の右側に緩くカーブしたところがありますもんね。そこから右折して100mくらいで、まんせい小学校てあります。万に成るって書いて万成小学校。そこから左に曲がると坂があって、道なりにどんどん...どんどん...どんどん...」
 図に描いてくれるとわかりやすいのだが、描いてはくれない。「15分か20分くらい走ると、橋があって、渡って、また10分くらい行くと、そこに車を停めて歩いて右の方へ入っていくと、あるとですよ。そりゃあ、良か風呂ですけん。誰もいないので、料金箱に入場料を入れてください。感動ですよ。寺尾野温泉ですよ。万成小学校から曲がる。いいですね」
 次の日曜日、私はくじゅう山系の山を歩いた。幸いなことに雪は大したこともなく、軽アイゼンを使う場面もなかった。予定よりも早く下山できたほどだ。さあ、長者原の温泉にでも入って帰るか、と考えたとき、ふと先日の登山用品のご主人と話した温泉のことを思い出した。
寺尾野温泉と言ったっけ。小国まで車を走らせてみよう。
 小国の町に到着。
 万成小学校は、今は閉校になっているが、その頃は、まだあった。そう。20年程も前のことだ。当然私の自動車にはカーナビなどはついていなかった。
 小国の木魂館を目指す。その手前に確かに緩やかなカーブがあり、ここだ!と私はハンドルを右に切った。
 数百メートル行くと小学校が見えた。聞いていたとおりだ。そこから左折すると登り坂だった。道なりに進む。幾つかの分岐があるが、どうしよう。別に注意する場所は言われなかった。勘で行くしかない。
 幾つかの集落。しかし、橋はなかったような。
 誰かに聞いたほうがいいだろうか?
 しかし、集落なのに人の気配がない。こどもも遊んでいない。集落を通り過ぎる。誰にも位置を確認できないまま進む。まだかなぁ。通り過ぎてないよなぁ。
 あっ、小川が流れている。えっ、橋ってこれ?これ、橋のうちに入るの?渡って、細い道をひたすら進む。
 再び、集落。人がいない。また進む。高台に出た。景色は良いが、辺りに何もない。明らかに行き過ぎたようだ。引き返す。集落で自動車を停める。民家を訪ねる。最初の家は無人。鍵も掛かっていない。次の家。老人が一人。耳が遠くて会話にならない。家を出たらバイクの若者が。よかった。「もっと下だよ。杉林のところから入って、しばらく棚田を歩く」
 言われた通りに行って、着きました。無人で小さな鄙びた温泉。話通りの魅力的な秘湯。寺尾野温泉、来られて良かったあ。しかし、よく辿り着けたなあ。奇跡みたいなものだ。あれだけ迷った挙句に。
 それから数ヶ月後、またボンベを買うために、寺尾野温泉のことを教えてくれたお店へ。
 ご主人と雑談して温泉の感想など。良いところを教えてもらってありがとうございます。気に入りました、と。
 ご主人は喜んで、またしても雑談に花が咲いたのだ。そのうち、冬の、上福根山で遭難死された某政党の万年立候補者の噂話に。
「山が好きで、よくお見えになっていましたよ」と。そうだったのか。「あの前日も店に寄られたんですよ。初めて上福根山に登ろうと思うんだけどって。それで、私が懇切丁寧にルート取りとか教えてあげたんです。良い方だったんですけどね」
 私は息が止まりそうになった。遭難の原因は、そ・れ・だ!!!

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