カジシンエッセイ

第164回 一人おいての男

2018.07.02

 こんにちは。は?私が誰かわからないって。え、覚えておられない。私を?
 やはり、そうですか。私はとにかく人の記憶に残らない男なんですよ。ほら、何も顔の特徴がないでしょう。それに太ってもいないし痩せてもいない。背も低からず高からず。
 だから、自分でも自分のことを「一人おいての男」と名乗っているんです。
 あなたも、私の顔をほうぼうで見かけている筈なんです。でも、目に入っても覚えていない。頭の中から記憶がするりと抜け落ちてしまう。
 どこで会っているかって?
 ほら、どんな雑誌や記念誌にも、私の写真は載っているんですよ。ただね、写真は私一人で写っているわけではない。数人で写っていることが多いですね。そして写真の下に説明書きがあります。それを読めば、なるほどと思いますよ。例えば4人で写っていたとします。左から誰山彼平さん。彼野誰男さん。一人おいて、曽礼誰太さん。そんな感じで載っているのを見た記憶はありませんか。
 そうなんです。その三番目の「一人おいて」が私なんです。あなたも本を持っておられますね。その中に人物の集合写真があったら見てください。ほらそのパーティの写真。数人で乾杯している。そこにもあるでしょう、説明書きが。
 「一人おいて」って。
 それ私。実物と見較べたらいい。私でしょ。
 そんなに驚かないでください。あなたも言われる迄は、わからなかった筈ですから。
 実は、私は誰よりもたくさん雑誌や新聞の写真に載っているんですよ。
 群衆を写した写真が載っていたりするでしょう。それには「一人おいて」の但し書きは付いていませんが、必ず私も写り込んでいますから。探してみてください。その雑誌に他の写真が載っているページ、あるでしょう。
 師走の朝市の様子を写した写真がありますね。それにも写っているはずです。朝市の雑踏をよく見てください。ほら、私の顔と見較べて。
"ウォーリーを探せ"というパズル本がありますよね。メガネを掛けたひょろりとした若者、ウォーリー君は、ぎっしり描き込まれた人々の中に紛れ込んでいるから、彼を探しだせという指令を上手くこさなければならない。それに似てますね。
 ひょっとすると私は、現実世界のウォーリーみたいな存在かもしれない。
 そうです。私の顔をじっと見て、それから探す。私の顔は覚えにくいから、何度も見て探してください。
 わかりましたか?
 そうです。なぜか私はブレてないから、はっきり写るんですよ。なのに、なぜか私の顔は記憶していない。理由はわかります。みんな写真を見ているけれど、私を視てはいないからですよ。
 これで、次回から見たときは私が、ここにも載っているってわかるようになる筈ですよ。いや、そんな必要も、もうないのかな。 
 え、なんで、今になってあなたにそんな事実を教えたかって?
 実は、長年「一人おいての男」の役割を演じてきたのですがね。私も年老いてきて、他の人同様に皺がいくつも目立つようになりました。すると、通りを歩いたり店に寄ったりしたときに、妙な目で見られるようになってきたのです。人は私の顔をじっと見て呟くんです。
 あなた、どこかで会いましたかね?
 初めて会った気がしないのですが。
 うーん。思い出せない。ここまで出かかっているのに、まどろっこしい。
 慌ててその場を立ち去ります。私は「一人おいての男」であって、決して正体を明かさない存在なのです。
 そして私は「一人おいての男」として、さまざまな人が集まる場所を転々としてきました。人から覚えられるようになったら、私は「一人おいての男」の役割を果たすことができなくなります。
 そう。私はもう「一人おいての男」の定年を迎えようとしています。とすれば、役割の有効期限を迎える前に、新しい「一人おいての男」の候補を探さなければならないのです。
「一人おいての男」になって数十年。目立たない私にとっては、それなりに満足のいく仕事を得ることができたと思います。一生独身でしたが、それは私には苦になりませんでした。
 よくぞ私を「一人おいての男」に選んでいただいたと思います。
 そして今、ほっと胸をなでおろしています。私の後継者にぴったりのあなたを見つけたのですから。
 だって、あなたは誰にも愛されず、誰にも必要とされず、だれにも顔を憶えてもらえない。個性がないし、目立たない。こんなに「一人おいての男」の適正を持った人はこれまでいなかった。
 今日、すっかりあなたを見過ごしてしまいそうになったほどですから。これまでのあなたは自分の人生を嘆いていた筈です。でもこれからは、光栄だと思いませんか。「一人おいての男」を継ぐなんて。誇るべき人生になるんです。
 ほら、ポンと肩を叩いたら、あなたはこれから立派な「一人おいての男」だ。
 やっと私も呪縛から解放される......。

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