カジシンエッセイ

第165回 売れる本を書きたい!

2018.08.01

 仕事は、文筆業だ。
 いわゆるもの書きというやつ。
 これまでに、いろんなジャンルのものを書き、本として出版してきた。小説も書いたし、エッセイも書いた。しかし、私が書く本はなぜかベストセラーに縁がない。
 私の本は、そんなにつまらないのだろうか?といつも自問する日々だ。
「いや、最近は皆が本を買わなくなっているんだよ」
 そう知人友人は慰めようとしてくれる。しかし、「いま話題の本」というのはどんなときにもある。
 売れるべき本は売れてベストセラーになっている。単に、私の書く本が売れていないだけなのだ。私の本が売れていないのは、皆が、そして誰もが、読みたい!思える本を書いてないからにちがいない。
 売れる本とは、誰もが読みたいと思い、読んだ人がその本のことを話題にする。すると普段は本を買ったりしない人まで話題に乗り遅れないようにと買い求めることになる。そんな本のことなのだ。
 どうすれば、そんな本が書けるのか?皆が読みたい本とは何か?それを知ることだ。
 いま売れている本を真似ても駄目だ。
 売れる本に共通していることが一つある。それは、これまでなかった独創性に溢れていることだ。
 売れる本を書きたい!
 その一念で必死に考えた。すると、ぼんやりと道が見えたような気がする。やはり、自分の強みに関係あるものの方がいいのではないか。たとえば、仕事以外の趣味は山歩きだ。そのテーマを本にすれば売れるかもしれない。しかも世の中には登山ブームが訪れていた。そのことを知り合いの編集さんに話してみた。
「山歩きの本ですか。いいですね。しかしね、深田久弥の日本百名山という古典的な名著があります。それに花の百名山や温泉グルメ登山本といろいろ既に出ています。今から山に関する本を出そうとすれば、よほど切り口が新鮮でないと無理です」
「最近はテレビでもやっていますよね。百名山を一筆書きで登るとか、三百名山を何日間で踏破するとか。これはジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』を彷彿とさせますよね。これは人気ですよね。登山者の方もヒーローですよね。で、知名度抜群です。本を出せばベストセラーですけれど、加えて講演会をやれば大人気で必ず会場は満員。それどころか、チケットがとれない騒ぎと聞きましたよ」
「うまくいけば、さて、そんな具合のヒットになります。さあ、山歩きの本をどんな切り口で書かれますか」
 ぐっと押し黙り考えた。うまく出版できたらベストセラーは約束されるらしい。
 私も百名山を...と言いかけて、すぐに、どんな観点で?二番煎じでは?と指摘されて頭を掻きむしる。
「年寄りの百名山というのはどうです。私もこのように総白髪だから」
「それじゃ弱い。いま山を登る人たちはほとんど年寄りです。みんなが、オオッと思う付加価値がないと」
 そうか。やはり、それだけでは駄目か。しかも、自分で日本の百名山を征服したわけでもないのに。そのとき、ふっと霊感が。
「年寄りの中でも、皆が驚くこと。年寄りは登りながら、自分は何歳までこうして登れるのだろう、と心配しているはずです。だからこういうのはどうですか。八十歳から登る百名山。これから取材して、八十歳から書き始めます!」
 編集さんが目を丸くした。それは凄い!絶対に売れます!ぜひ書いてください。
 企画が通った。
 それから取材にいそしんだ。百名山のすべてを歩いた。
 八十歳になり、もう一度歩こうとするが、これだけ身体がきしむとは思わなかった。両手に杖を持ち、助手にロープで身体を引いてもらい、何度も休み休み、ひたすら歩き続けた。
 医者から何度も登山中止の勧告を受けた。それでも執念で百名山を制覇した。
 ひたすら売れる本を書きたかったからだ。もう二度と山には登れないだろう。それは覚悟した。
 肉体の限界を既に超えてしまっていたから。それでも、必死に指だけは動かして書き続けた。
「八十歳からの百名山」
 原稿を眺める。自分ながら傑作の予感があった。すべての年寄りの登山家たちに希望を与えるだろう。
 原稿を持って編集さんに会う。
 得意げに渡す。
「これで、どうです。ベストセラー間違いなし。これで講演依頼も殺到するでしょうねぇ。私も人気者になる予感がします」
 すると、編集さんは原稿の束を受け取ろうとしない。どうしたというのだ。
 編集さんは言いづらそうに言った。
「実は、他社で似た本が来週出るんです。タイトルは『九十歳の百名山征服』というんですよ」            

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