カジシンエッセイ

第17回 仰鳥帽子山(のけぼしやま)の福寿草の監視人

第17回 仰鳥帽子山(のけぼしやま)の福寿草の監視人

2006.06.15

もう、二年ほど前のことだが、三月初旬に五木村と山江村の境にある仰烏帽子山に登った。
私は、熊本市からクルマを使って行くので、東陽村から五木村に入った。
目的は、福寿草を見ようと思い立ったからだ。二月下旬から咲いているという話だが、雪を用心して時期をできるだけ遅らせた。
元井谷の側から愛車で山道を登り続ける。
あと数百メートルで登山口に到着するという頃には、びっくり。

なんと、まだ、朝の八時前というのに、道路脇に、びっしりと登山客のクルマが駐車されていた。とにかく、駐車場所をやっとのことで確保。
それから、登山口まで歩く。
登山口は、人で溢れかえっていた。まるで、どこかの商店街の夕暮れのようにジジババの……いや先輩方だらけである。
日が射していた。ジジババたち……いや先輩方が、「あら、お天道さんが…。福寿草も早く開いてくれるね」と言いあっていた。日が射すと花が開くのだ。否が応にも期待が高まる。
山に登ろうとしたときだった。
「ちょっと。ちょっと」
誰かが私に声をかける。振り向くと、カーキ色の作業着を着てキャップをかぶったおじさんが、立っていた。見ると、腕に腕章のようなものをはめている。
「はい。何でしょうか」
立ち止まって私は答えた。
「あなた、スパッツは?」
スパッツは、登山靴やズボンの下の方につける泥よけのことである。靴の中に登山中、小石が入ったりするのも防いでくれる。
あいにく、私はスパッツをつけたりして、山を歩くことはしない。
「つけませんが、どうかしましたか?」
男は、大きく頭を振った。
「そ、それはいけない。山を歩くときの常識です。ズボンも泥だらけになる。スパッツ持っていたら、つけて登りなさい」
「持っていません。汚れてもいいんです」
男は、仕方ないなあというように、眉をひそめた。
「スパッツをつけないなんて、いけないなあ」
そのとき、腕章を見てわかった。この男の人は、福寿草の盗掘を監視するために、ボランティアで登山口にがんばっているらしい。しかし、なぜ、スパッツに固執するのだろうか。これほどまでに。
私が登りはじめてわかった。次の人にも、その次の登山者にも「スパッツは?スパッツは?」と訊いているのだ。「ちゃんとスパッツつけていますね。よろしい」という声も聞こえた。「安全のためですから!」
しばらくの登りの後、ついに福寿草と出会う。感激した。残雪の間から可憐に小さく黄色い花弁を必死で広げて。
そして山頂を目指す。
仏石の分岐まで来た頃だった。雪が舞い始めた。
一時的かなと思ったら、ちがう。見る見る山全体が白くなっていくのだ。どうしようかと迷い、下山を決意した。それまで登山道そのものには雪はなかったのだが、信じられないことに数センチもあっという間に積もってしまったのだから。
あれほどいたジジババ……いや先輩方の姿も、何かに掻き消されたように見えなくなっていた。登山者がいない!
それから下山。
雪は降り続き、軽アイゼンをクルマに置いてきた私は、何度となく、足を滑らせた。
--スパッツなんて、どうでもいいことじゃないか!冬山だから、軽アイゼンを持っていきなさい。山をなめないで。そう、すすめるべきじゃないのか。
転ぶたびに、監視人の男のことを思いだして、そう毒づいた。
登山口に着いたら、あの男にそう文句を言ってやる。その思いだけで、必死に下山を続けた。
登山口に戻る。
登るときは、あんなにごった返していたのに、今は誰一人、姿は見えない。あれほど駐車されていた自動車も、数台しか残っていない。
もちろん、あのピント外れのお節介監視人の姿もなかった。雪が降り始めて、さっさと引き上げたらしい。するとまた無性に腹が立ってきた。登山者が残っているのなら、ちゃんと下山を見届けてから帰るのが監視人だろう。バカヤローと心の中で叫ぶ。
あのズレた監視人は、まだいるのだろうか?

カテゴリー:アドベンチャー

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