第44回「マンガのような出来事」
2008.07.01
孫を連れて海に出かけたとき、ガザミを見つける。
ガザミは美味しいカニなのだが、海に来ることが珍しい孫は初めて見るらしい。
「へぇー」っと目を瞠る。
おじいちゃんとしては、孫のポイントを稼ごうと考えてガザミを握った。
「ほら、よく見てごらん。こんなでっかいハサミ。すごいだろう。用心しないと挟まれて危険だよ」
そこまでは良かったのだが、腹の部分を握ったため、私は左手の中指を挟まれてしまった。その力の強いこと。悲鳴をあげた。
やっと、ガザミを振りはらったが、大出血。挟まれたのが右手でなくて、よかった。仕事ができなくなるところだった。
危険なカニを握るかっこいいおじいちゃんは、カニに手を挟まれて涙を浮かべる間抜けなおじいちゃんの座に転落してしまった。
その出来事を家族たちと夕食時に話す。
「最近は、カニに手を挟まれてイタい痛い!って言ってる間抜けでマンガみたいな体験は聞いたことないよね。誰もしないよ」
そんな話題になりました。
そうか。私はそのとき不幸のどん底だったのに、まわりからすれば「マンガみたい」な出来事だったのか。
人の不幸は蜜の味というが、家族といえどもいかに薄情なものか、身に染みました。みじめです。
その話題は、それでつきることなく「マンガみたい」な出来事が語られ始めます。
「あと、匹敵するのは、すっぽんに指を噛まれる、くらいかなぁ」
「すっぽんなんて、どこにいるんだ。それに指を噛まれる確率なんてゼロに等しいぞ」
「だからマンガなんだよ。カニに指を挟まれることも、そうそうないから」
「そうか」
「あとは、採ってきたキノコを食べてゲラゲラ笑い出すっていうのも、マンガだよね」
ちょっと押し黙る。それが、私に対する当てこすりであることは明白だからだ。
私の趣味の一つは山を歩いてキノコを採ることである。ちなみに、家族は私が採ってきたキノコを胡散臭い目で見るのが常である。どんなキノコなのやらという目である。
あわてて話題を変える。
「そ、そうだなぁ。ベンチに座った後に、風に飛ばされてベンチの横に“ペンキ塗りたて”の貼り紙が落ちている‥‥というのも、マンガ的だぞ。最近見ないだろ」
皆がうなずく。
「歩いていたら、バナナの皮で足を滑らせてひっくり返る、というのも見ないねぇ。あれも昔は、マンガでよくあっていたからねぇ。それから、猫が魚をくわえて逃げるのをホウキ持って追いかけるの」という母は、たぶんサザエさん妄想がはいっているのかな、と思う。
けっこう、話題として盛り上がるなぁ、と思う。そんな話をやりつつも私のカニに挟まれた指は痛み続けていたのだが。
そのときは、口にしなかったのだが、「あっ、寝過ごしたあっ」と飛び起きて口にパンをくわえて制服を着ながら「遅刻、遅刻」と走ってくる、美少女だがそそっかしい女子高生と街角でぶつかる‥‥という体験もマンガ的でよろしいな等と思ったりもするのだが。
他にないのかな、マンガの中ではよく見かけるのだが、現実にはなかなか出会わないような出来事が。
そんな話題を酒の席で出すと、けっこう盛り上がることもわかった。
「雪道で転げると、だんだん雪だるまになって、坂道を転がっていきますねぇ」
うん。それはマンガでよく見た記憶があるけれど、現実には起こりえない話でしょう。現実に目の前で起こって、マンガでもよくあるよなぁ、と思いあたる出来事に限ります。
「コンタクトレンズを落とした友人のために皆で地面にはいつくばって探しましたよ。こんなのマンガでありませんでしたっけ」
私も経験あるけれど、マンガの中で読んだ記憶はないなぁ。でも、この体験だけは誰もが、一度や二度は心当たりがあるようでした。
皆さんも「マンガのような」出来事って体験したことは、ありませんか?