カジシンエッセイ

第7回「神がかりのこと」

第7回「神がかりのこと」

2006.06.08

九州には、いくつかの『白鳥神社』がある。
五家荘の樅木にあるのは、白鳥山つながりらしいが。
白鳥山は平家の残党、平清経が住まい、そのとき白鳥ヶ槍を持参していたことに名前が由来するようだ。

球磨の相良村の北に初神白鳥神社がある。由来は知らないが、伝説を調べていたら、おもしろいことがあったので紹介してみよう。


この社殿が、荒れ果てた時期があったらしい。ところが村人たちは、その修復のことには、関心がなかったという。すると、村の女の一人が、突然神がかりになったのだそうな。原因不明。
「私は、白鳥の使いである。ここ初神において相良に初めてお宮をおいたというのに、奉らずほったらかしにして失礼な話だ。このように礼を失した状態であれば雷火を落として、一瞬にして焼け野原にしてやるぞ」

村人たちはびっくり仰天。大騒ぎになり、あわてて社殿を建て直して奉ると、その村女は、すっと神がかりがとれて、正常に戻ったということだ。

ふうん、神がかりか。そんなことあるのかなぁ。そう考えていると、スケールは違うが、ジャンヌ・ダルクのことを思い出してしまった。ジャンヌ・ダルクは、村の羊飼いの平凡な少女だったのだが、ある日、突然に神から啓示を受ける。オルレアンをイギリス軍から開放し祖国を救えと。

ジャンヌ・ダルクの参戦でフランス軍は大勝利、シャレル七世を国王に載冠させるのだが、何じゃこりゃ、とよく思ってしまう。

神さまは、何でそんなにフランス贔屓なんだよ!という点である。

西欧の神は、唯一無二の絶対神のはず。それが、フランス正しい、イギリス悪いと託宣を下すことに、何となく釈然としないものを感じる。お互い異教徒ならいいよ。でもちがうだろうと突っ込みを入れたくなるよ。

「白鳥神社」のケースは、どうだろう。 社の修復のときだけ、神がかりで降りてきて、社がきれいになったら還っていってしまうというのも、ちとなぁ。余程、地域の人々の信心が浅かったのだろうか。耐えかねていたということか。衣食足りて礼節を知るというが、社の修復が、その最低条件だったということか。どの時代のことかは不明だが、このくらいの神がかりでよかったと考えるべきか。「徳川幕府を倒せ!」とかの神がかりのご託宣だったら、どうなっていただろうかと、ふと心配になってしまったのである。

まぁ、これは、白鳥神社の主が神がかったのではなく、「白鳥の使い」なるものが神がかったわけだから、よほど見かねた式神みたいなもののせいだったのかもしれんないなと思ってしまう。

神社の発生を見ていると、どうも、二つのパターンに分かれているような気がする。一つは、地域から親しまれた人物が亡くなり、その方から御利益を得るために奉られた神社。そのような神社にお参りすると、それぞれの神社の効力に応じて御利益を頂ける。無病息災だったり、商売繁盛だったり、試験合格だったりと。

もう一つのパターンは、荒ぶる神がいて、これ以上勘弁してくださいと、地域の人々が鎮めたがって奉られた神社だ。

つまりプラスの幸運を願う神社と、負の災厄を願う神社。この初神白鳥神社のように神がかりのある神社は、どちらになるのだろうかと考えていたら、「神がかり」に関する文を読んだ。それによると、ジャンヌ・ダルクも神がかりもスキゾフレニア(統合失調症)による変性意識の状態ということだそうな。

それも、何だか夢がないなぁ。

カテゴリー:妄想伝説

ページのトップへ

バックナンバー