カジシンエッセイ

第70回「パワースポット」

2010.09.01

最近、ブームなんですかね。やたら「パワースポット」と安易に使っているパターンが多いなあ。旅行社の広告にも"パワースポットを訪ねる"とか"まだ知られていないパワースポット"と称している観光案内を見るようになりました。
で、「パワースポットとは、いったい何じゃ?」ということなので書いておきますが、パワースポットなる英語はないのです。和製英語。
地球のエネルギーが人間に対して癒やしを与えるような、大地のツボがあると。それを、ヒーリングスポットやら、パワースポットやらと呼んでいるわけです。
だから、科学的根拠は何もないわけです。割と、神社関係やら、巨石、湧水池とかがパワースポットとして口コミで拡がっていることが多いようですね。
パワーが本当にあるかといえば、眉に唾をつけた方がよろしい。疑似科学のジャンルですから。
本当にパワースポットの効果を広く知らせるなら、パワーを数値化して表示すべきでしょう。
 ○×神宮 90パワー
 △△岳の巨石 60パワー
そう書かれていれば、非常にわかりやすいと思います。でも現実的には、数値化を誰がどうやってやるんだ?ということですよね。そんな測定装置も存在しないから。
(でも、そんな測定装置をでっちあげて売り出したらヒット商品になるかも。磁器をパワーとするのか?正体不明の"マイナスイオン"を測定したことにするのか?電位差とか、ようわからん、でありますが)
口コミで伝わる間にわけのわからない都市伝説が拡がったりします。東京の某神宮の井戸の写真を携帯電話の待ち受け画面にすると、お金が飛び込んでくるとか。これ、知り合いに待ち受けにしている人がいたので効果を聞いてみました。

 「そうですねぇ。なんか、こざこざしたことで忙しくなってきた気がします」
 「で?お金の方は、どんどん入ってきていますか?」
すると、「ウームゥ」と腕組みをされていたので、そんなものでありましょう。
某に言わせると、「異教徒が待ち受け画面にしたら、ありとあらゆる不幸が次々に襲いかかってきた」ということです。異教徒を不幸に陥れるとは、度量が小さいなと、ちと呆れるのでありますが。
高圧電線の下に蛍光灯を持って行くと、電線につながなくても明るく灯るという現象があったりしますが、これは、高圧電線にパワーがあるからだということになっています。だからといって、高圧電線の下がパワースポットかというと……。高圧電線の下に住む人たちの発ガン率が以上に高くなるという説があります。パワーが人間のためになっているかどうかも、天然のパワースポットも検証する必要があるのではないかなあ。
そもそも神社というのも、ご利益のある神様を祀るところもあれば、荒ぶる神様がお怒りにならないように鎮めているところもあるんですよ。そこいらの区別がなくって、ただ単純にパワースポットと言っている気がするなあ。
パワースポットの測定が無理だったら、こういうのはいかが?
100人をアトランダムに選び、予備知識を与えずに次々にパワースポットと呼ばれる場所に連れて行き、アンケートをとる。
A地点では30人がパワーを感じ、70人は何も感じなかった。B地点では50人がパワーを感じた……とか。
これなら、数値化しやすいのではないでしょうか。
テレビの番組で、私は熊本と宮崎の県境にある白鳥山を「私のパワースポット」として案内しました。大好きな山で、登れば日頃の世間の澱を洗い流せ、心がスッキリするからです。だから、白鳥山は他の人にとっては、どう受けとられるか知りませんが、私にとってのパワースポットなのです。大好きな場所。
パワースポットってそんなものじゃないでしょうか?
もっと推し進めれば、私に一番効果のあるパワースポットは、源泉掛け流しの、「温泉」ということになるんですよね。
実にわかりやすい。
さて、長々と「パワースポット」のことを書いてきましたが、この度、祥伝社から「壱里島奇譚」(1,600円+税)を出しました。
この小説の中でも架空のパワースポットが、物語の鍵として登場します。舞台は天草下島の遙か西の孤島。その島で次々と不思議な出来事が連続するというお話でございます。ぜひ、お買い求め頂ければと願うばかり。
よろしくお願いします。

カテゴリー:ここにしかない

ページのトップへ

バックナンバー