カジシンエッセイ

第77回 心見の場所

2011.04.01

 このコラムでも、前に書いたことがあると思うのだけれど、熊本と宮崎の県境に市房山という名峰があります。高さは一七二〇メートル。
 私は、熊本県側の水上村から登るのですが、けっこう登りごたえがある山です。
 で、ほうほうの体で山頂にたどり着き、もう少しだけ山頂の向こう側まで足を延ばすと不思議な巨石があります。

 なんと、岩が崖と崖に挟まれて宙に浮いたようになっているのです。岩の下には何も無いから、非常に不安定な感じです。
 崖の下からも、この宙に浮いた石を見ることができるし、崖の上に行けば、この石の上に乗ることが出来る。
 で、このチョック・ストーン(岩と岩に挟まれている石のこと)が、なんと呼ばれているかというと、「心見(こころみ)の橋」!
 言い伝えによると、心悪しき人が、この「心見の橋」を渡ろうとすると、下に落ちてしまうのだそうですよ。
 へぇ、面白いなあ、と。で、私は下から見上げた後に、この心見の橋にも乗ってみました。いろいろと思うところもありました。しかし、乗ってみてなんともなかったので、ある程度、反省していれば、心悪しき人の範疇には入らないのかと安心してしまいましたよ。なんだか、逆に免罪符を手に入れてしまった気分。
 という前置きで、他にもこのような人の心がわかるようなポイントはあるのかなあ、……とぼんやり考えておりました。そしたら、ありましたよ。
 それも、案外と近い場所に。なんと、仕事場の近所です。
 それが、どこかというと……信号なんです。ほら、赤、黄、青の。天然の奇景でなくて、すみません。
 この信号を渡ろうとすると、つい人は本性を現わしてしまうのですよ。
 場所は、市内中央部の交通センターと西辛島町方向へ続く、ビジネスホテル前の信号です。
 道幅は八メートルほど。
 歩行者用信号がありますが、それが、なかなか青にならない。
 で、通りを見ると、ほとんど車は走ってこない。
 そこで、その人の本質が露になるのです。通りの向こうに渡るのに、人はどれだけ待てるのか?
 右を見ても左を見ても、車はまったく走ってこない。走ればいっきに渡ってしまえる。
 ま、これが、街中での心見の橋なんですね。
けっこう、少学生たちは、辛抱強く、信号が青になるまで待っています。見ていて、いい子たちだなぁ、と、微笑ましくなります。
 だから、ここでの心見というのは、人はどこまでルール(法)を遵守するかということですね。
 ます、年齢や性別によって、信号無視をするパターンがあるか、ということですが、これは、あまり関係がないみたい。
 私も、しょっちゅう、この信号を利用するのですが、その待ち時間を人間観察の心見に利用しているので、あまりその時間が気にならなくなりました。
 ただ、私の姿が、信号待ちの場所で見えると、やはり他の信号待ちの人たちに影響を与えてしまうような。だから、待つときは、ビジネスホテルの出入口付近か交通センターの地下道入口あたりで待機すると、それぞれの正直な行動を見ることができるとことがわかります。
 まず、一人だけで信号待ちしていると、十秒ほど経っても信号が変わる気配がないと、左右を見てさっさと信号を無視して渡ってしまう人が多い。
 それから、二人信号待ちしている。それで、一人信号無視で渡り始めると、もう一人も、「あっ、渡っていいんだ」と後を追って渡ってしまうケースが多いなあ。
 赤信号、皆で渡れば怖くない。って誰かが言ってましたけれど、真理だということがわかるような気がします。スーツを着た初老の怖そうなおじさんが、案外辛抱強く、律儀に信号が変わるのを待っている姿を目にすると、こんな方たちが今まで日本を支えてきたのだなあと嬉しくなるのです。
 ほとんど同時に信号無視して渡り始める他人同士のおばちゃん二人が、おたがい照れ笑いを浮かべる姿は、もう無数に見たなあ。
 他にも心見の場所は、ないのかなあ。
 山奥深い泉のほとりで「白岳しろ」を泉に放り込んで、しばらく待つと水の中から女神が現れ、「今お前が落とした焼酎は、この吟麗しろ・銀しろか?」と訊ねてくるから、「いえ違います」
 すると、女神は「今お前が落とした焼酎は、この謹釀しろ・金しろか?」と訊ねてきたときも「いえ違います」
 すると女神は感心して「お前の心見をさせてもらったが、これほどの正直者は初めてだ。褒美に、金しろ、銀しろも遣わそう」

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