カジシンエッセイ

第92回 夢のマルティニーク島

2012.07.01

実は、今、ラフカディオ・ハーンが登場する小説を書いている。エマノンシリーズの初長編になる「うたかたエマノン」で、『読楽』という雑誌に連載させて頂いているのだが、その中で彼に重要なキャラクターを演じてもらっている。
 もちろん、日本を訪れる前の時代の話だから、小泉八雲とは名乗っていない。不思議なものと、エキゾチックなものが大好きな、少々偏屈で変わり者の物書きおじさんとして描いている。時代は十九世紀の末だ。
 

その時代の、ラフカディオ・ハーンの著作『仏領西インドの二年間』をモチーフに書いている。
 ハーンの『怪談』は高校生の頃に、よく読んだ。怪談には違いないのだが、ユーモアがあるものもあれば、切ない気持ちになるものもある。それに奇妙な味の短編もあった。ハーンの怪談の、読めるものは全て読み漁った時期がある。その経過の中でたどり着いたのが『仏領西インドの二年間』だった。
 ハーンは日本を訪れる前に仏領マルティニーク島に滞在しているのだが、そこでも奇妙な話や恐い話を収集していたのだ。そしてその本の中に、マルティニーク島に伝わるさまざまな怪異が描かれている。私がゾンビという超自然的存在のことを初めて知ったのは、実は高校生の時ハーンによってだった。もちろんこの本の中で。ただし、ジョージ・A・ロメロの映画によって定着したゾンビのイメージとは大きく違うのだが。
 私は、日本を舞台にした作品とはまた異なるテイストに魅力を感じ、その時代のハーンのことを調べたりもした。アメリカで新聞記者をやっていた頃から、少しづつマルティニーク島に興味を抱き始めていたことも知った。そして調べていくうちに、マルティニーク島にハーンが滞在していたのと同時期に、タヒチに行く前の画家ポール・ゴーギャンもここにいたことを知ったのだ。
それから私の中で」、ずっと妄想が燻り続けている。
 もし、ラフカディオ・ハーンとポール・ゴーギャンが会っていたとすれば。
 しばらくしてエマノンシリーズを書くことになるが、エマノンは太古から生命の発生と進化の記憶を四十数億年に渡って持っている少女の話だ。不老不死ではなく、記憶だけが世代を超えて引き継がれていく。ただしその少女に名前はなく、便宜上エマノンと名乗っているのだ。
 ならばエマノンもその時期マルティニーク島を訪れていたならば。
 そんな長編をずっと書こうと思っていた。だが、書けなかった。
 マルティニーク島の土地の感覚が、全くわからない。描写しようとしても、具体的な風景が頭の中に浮かべられない。いや、ぼんやりとは浮かぶのだが、それが正しい光景かどうかもわからない。そんなんじゃ、描写も出来ない。
 結論としては「一度、マルティーニク島へ行ってみよう。そして自分の肌で島を感じて来よう。執筆するのは、その後だ」
 それから時は流れ、他の執筆にかかっているときも、魚の小骨が喉に引っかかっているように、マルティニーク島のハーンとエマノンの話が気になっていたのだ。
 だからオープニングはこう。プロットや登場人物のキャラはこう。エンディングは、こう。そんな妄想だけは膨れあがってくる。マルティニーク島に関する小説や映画、テレビ、料理、音楽、アンテナに引っかかってくる情報は、全てチェックした。マルティニーク島の名物のホワイトラム酒の存在を知れば、知り合いにお取り寄せいただき、味見して宿酔いになったことも。それでも筆を執る勇気が湧かなかったのだが。
 さて、熊本市内にも、ハーンが熊大に勤務していた頃の住まい跡が何軒かある。そこに足を運ぶ。最初に足を向けたのは安政町の公園の片隅。ここでハーンは何を見たのだろう。公園、デパート。全く想像がつかない。次に壷井の住居跡に。そこは……社宅になって集合住宅があるばかり。
 そこで、気がついた。きっとマルティニーク島を訪ねても、熊本と同じように百年前の光景は見ることが出来ないのだと。
 それから呪縛が取れたような気がする。宇宙に行ったことのないSF作家が他の惑星を描写するつもりで、十九世紀末のマルティニーク島を描写すればいいのだ。
 そう自分に結論づけると、ストンと憑いていたものが落ちたような気がする。
 だから登場人物は、私のハーン、私のゴーギャンだ。舞台も私の妄想の中にある、私の百年前のマルティニーク島なのだ。
 私が描く何十光年も離れた惑星メフィスと同じなのだ。
 それから、いいペースで滞ることなく書き進めている。今では、ホワイトラムで宿酔いになることもない。

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