Columnカジシンエッセイ

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Column - 2019.05.07

第174回 今日は何の日?

結婚前の妻がそんな話題ばかり持ち出してきても、何も気にならなかった。惚れた弱みと言えばいいのか。何を言っても、それは彼女を魅力的に思わせることでしかなかった。
 そして妻になった彼女が問いかけてくる。
「明日は何の日か知ってる?」何の日だったろう?
「私が、あなたと初めて話をした日よ」少し驚いた。結婚記念日とかは覚えているが、妻と初めて話をした日なんて覚えている筈がない。昔はそんなことをちゃんと記憶しておいてくれる妻が愛おしく思えたものだった。彼女は紙袋を差し出した。中には菓子を詰め合わせたものが。聞けば、私はそのときキャンディを一個、隣の席にいた彼女にあげたのだそうだ。それから話すようになった、と。私はよく覚えていない。好意があったから、そんなことをしたのだろう。
 別のある日の朝、「今日は何の日?」と尋ねられる。初デートの日だったろうか?いやちがう。わからない。そう答える。
「初めて、あなたと手をつないで歩いた日よ」今はもう手をつないで歩いたりはしない。遠い昔、そんなことがあったかもしれない。彼女は日記でもつけているのだろうか。新しい手袋をプレゼントしてくれた。「あの日、私は手袋をプレゼントした。覚えていないでしょう。あなたの手が冷たかったから」
 少しづつ、そんな妻の性癖が気になり始めていた。
 いつもの夕食とは違うメニューが出てきたこともある。いつもは酒と刺し身の晩酌メニューなのに、その日はオムライス。
「なんで、こんなメニューを?」
「あなたに、昔、大好物は何?と尋ねたとき、オムライスかな、って答えたの。それが今日だったの。だから喜んでもらえるように記念のオムライス」と得意そうに言った。
 確かに昔は、オムライスが好きだった時期もある。しかし、舌も嗜好も昔とは違うのだ。しかたなくオムライスを食べたが、うまいものではなかった。
 変わったのは私だけではない。
 妻も変わった。一番変わったのは見かけだろうか。昔はほっそりタイプの清楚な美人だった気もするのだが、今は、陸に上がったトドだ。しかも、毎日「今日は何の日?」と尋ねてくる。
 何の日でもいいじゃないか。
 今の私の願いは妻に話しかけられることなく、静かに日々を送りたいだけなのだ。一人っきりで干渉されることなく。しかし、今のままでは、とても無理かな。
 そう考えている私に、妻は尋ねてくるのだ。
「今日は何の日か覚えてる?」と。
 私の静かな時を邪魔しないでくれ。ただ、 ただ、安寧のときが欲しいのだ。
 本来なら、黙ってろ!と叫べば黙ったのかもしれない。しかし、今は静かになっても明日になれば、今までと同じように懲りもせずに、私に尋ねるのだ。
「今日は何の日か知ってる?」
 毎日が何かの記念日なのだろう。もう沢山だ。世の中だって記念日が多すぎる。わが家の記念日まで加えたら......。
 勘弁してくれ。
 そのときの私は、この世界を、もう少し平和で人類が仲良く過ごせるようにする方法について考えていた。そして、その真理へあと一歩のところへ辿り着こうとしていた。
「ねえ、ねえ。今日が何の日か知ってる?」
 私の脳内で、全世界が平和に至る方法がガラガラと音を立てて崩れていった。
 見ると、妻が私の左袖を引っ張っているのだった。
 瞬間的に私は妻に強烈な殺意を抱いていた。
 反射的に妻に飛びかかると、彼女の太い首を力いっぱい締め上げていた。もう少しで世界平和の方法にたどり着けるのを邪魔しやがって。
 はっと我に返ると妻は動かなくなっていた。生者らしい反応は何もなかった。
 私は妻を殺してしまったのだ。
 後悔はしなかった。いつか、こうなるだろうという予感があった。だが、このまま捕まる訳にはいかない。それに、妻が死んだ今、私には自由の日々が待っているのだから。
 そうだ。死体を隠そう。もうすぐ夕暮れだ。庭に穴を掘り埋めてしまおう。誰かに尋ねられたら、妻は今、旅行中だと言えばいい。誰にもばれる筈がない。夜明けまでに穴を掘れば、埋めてしまうことができる筈だ。階下に死体を運び、リビングから庭に出て作業を済ませよう。
 妻の死体は予想以上に重かった。シャベルはテラスにあった筈だ。階段を脂汗を垂らしながら下りていく。妻を引きずりつつ。
 やっとリビングに下りたときだった。
「おめでとう!」と声がかかり、クラッカーが鳴り、煌々と部屋に明かりがつく。何ごとだ。知人・親戚たちが、私と妻の死体を囲んでいた。.........今日は何の日?
「ハッピー・バースディ!!」と叫びかけた声が途中で途切れる。
 思いだした。私の誕生日だったのだ。そして、妻はサプライスを仕掛けていたのだ。
 皆の笑顔が凍りついたままになっていた。

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