Column - 2018.12.03
第169回 根子島の呪われた月
天草と島原に挟まれた小島の名を根子島という。人口は千人に満たない。そして、人口より猫の数が多い。そしてこの島に住む人々は十二月を呪われた月として、絶対に夜は出歩いてはならないと言い伝えてきた。今でも、その風習は残っている。
この島で生まれた末吉は、その風習が不思議でならなかった。世の中がこれから変化しようとする明治末期のことだ。
末吉はお爺に尋ねた。「なあ。なんで今月は、夜、外にでちゃあなんねえのか?」
「昔から、そういうことになっとるからな」
「昔からは、わかってる。なぜか、ということを知りたいんだよ」
爺は、皆を見回して仕方なさそうに言った。
「お前の親父も兄貴たちも、そんな疑問は持たなかったぞ。当たり前と思っとったから」
「でも、なぜかは知りたいよ」
「玄関にしめ縄が飾ってあるのは知っとるか」
「ああ知ってる。あれがどうしたの?」
「他の土地では玄関にしめ縄を飾るのは正月だけだ。ここでは年中飾ってる。それは、この家が切支丹伴天連ではないと皆に知らせるためだ」
「それは聞いたことある」
「昔々、このあたりには切支丹がいっぱいおってな。でうすを信仰しとったんぞ。毛唐の宣教師がおって、皆に伴天連になるよう謀りおった。だが、お上からそんな信仰は駄目だ、と禁止されたんだよ」
それも、末吉は話に聞いたことがあった。だが、隠れ切支丹は捕らわれ処刑されたということは聞いていても、十二月になったら夜に外に出ちゃならない理由は聞いたことがなかった。
「だから、うちは切支丹じゃないんだろう。よく知ってるよ」と末吉は声を荒げた。「でも、切支丹と師走の夜は関係あるの?」
「ああ......ある」とお爺は口を濁す。
「なぜ?それを教えてよ」
「わしの爺のお爺のずーっと爺が言っていたことなんで、どこまで本当かは知らないが......聞きたいか?」
「聞きたい!聞きたい!」
お爺は遠くを見る目になり、思い出そうとしながらボツボツと話し始めた。
「切支丹が禁止された頃な、転んだ神父がおった。転んだというのは切支丹であることをやめたということだ。昔、お上はその神父を連れ回って、皆に切支丹がどんなに恐ろしい宗教であるかを広めておった。」
「そんな一行が、この島にも来たのだという。そして島中の者が集められて、神父が話をしたのだそうな」
「その折に転び神父は切支丹のとんでもなさと、十二月の夜は外に出るなという話をしたのだと」
「え。なぜ十二月は夜出ちゃいけないの?」
「うむ。十二月の下旬には、アレがあるということだ。口にもしたくない。"苦しみまーす"という日々のことだな」
末吉はゴクリと生唾を飲み込んだ。"苦しみまーす"という忌まわしい日々。いかにも恐ろしそうではないか。いったいどのような日々?拷問にあう?
「どうなるの?なぜ苦しむことになるの?」
「よくわからん。が、転び神父が顔をしかめて言うたらしい」
「なんでもな、"苦しみまーす"の夜に出現する呪われた化物がおるそーだ。あまり転び神父は話したがらんようだったが、役人に小突かれてしかたなく話したのだが」
「その化物はな"さんざ、苦労する"という奴だそうだ。とにかく、十二月の夜にうろついとると、この"さんざ、苦労する"が襲いかかってきて、とんでもない目にあわされるとのことだ」
末吉の頭の中は、目玉のでかい、口が耳まで裂けた巨大な化物が島の中をうろついている姿で溢れかえったのだった。
それ以上、末吉はお爺に尋ねなかった。そして、数年が経った師走の夜のこと。成人した末吉は皆に言う。すでにお爺はこの世にいない。
「聞いてくれ。子供の頃、お爺に師走は"さんざ、苦労する"という化物が徘徊し悪さをするから"苦しみまーす"の日々になると聞いた。俺は、そんなの迷信だろうと思う。"さんざ、苦労する"なんて大人が考えただけの存在だ。この"苦しみまーす"の夜、それを皆で確認しようじゃないか」
「本当にその化物が襲ってきたらどうする」
と兄貴の一人が言う。
「これだけ島の衆がいれば、怖いものなしだ」末吉たちは景気づけに酒を飲み、化け物退治をすることになった。
「この東洋の小島に下りるのは初めてだな。いい子たちはいるかのぉ。オッホッホー」
空飛ぶソリに乗り赤鼻のトナカイを操って、サンタクロースは初めて根子島を訪れたのだ。そこでサンタクロースが目にしたものは......。
サンタは言う。「この島に良い子たちはおらんかねー。オッホッホー」
すると、末吉が叫ぶ。「やっぱ本当にいやがった。"さんざ、苦労する"の化物が。やっちまえ」
末吉たちは皆で一斉に飛びかかっていった。
遠くで、猫がミャーと哀しそうに鳴くのだった。