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Column - 2006.06.08

第4回「ニタ場の話」

私の好きな話の一つに、「ニタ場」の話がある。免田の知り合いから教えてもらった。
球磨の民話だと思うのだが。「ニタ場」というのは、猪が泥浴びする場所のこと。
漁師は、そのニタ場を山中で見つけて考えたそうだ。よし、ここで待ち伏せしていたら猪を撃つことができると。それで、ニタ場を狙える木の上に上って銃を持って、じっと待っていたそうな。

すると、泥の中から山ミミズが這いだしてきた。その山ミミズを這いだしてきた大ガマが、パクリと食ってしまった。


大ガマが満腹した様子で休んでいると、その後ろに、これまた大きな蛇が現われた。そして、大きな蛇が、あっという間に大ガマを呑みこんでしまった。
大きな蛇は、腹が膨れて身動きできない状態で、ニタ場に横たわって消化するのを待っとったらしい。


漁師は、呆れてこの一連のできごとを眺めていた。そこへ猪が泥浴びにやってきた。猪は蛇が大好物なので、横たわった大きな蛇を見つけるなり、大喜びで食ってしまった。食い終った猪は、満足してくつろいでうたた寝を始めてしまった。まったく無防備状態だ。


漁師は、よし、今だ!と銃口を猪に向けた。引金を引こうとした瞬間、漁師は背後から、何やらわけのわからないものの視線を感じた。何ものかは、わからない。
でも、この猪を殺してしまえば、次は自分の番なのだということは、わかった。
恐怖で、振り向くこともできず、漁師は、そのまま逃げ帰ったという。
それ以来、「ニタ場」待ちの猟はしなくなったそうだ。


SFだ!と私は、この話を聞いて思った。人間とは、想像することのできる生きものなのだ。漁師を背後から見ていた存在は、あるいはなかったかもしれない。しかし、漁師の思考の中には、そのとき視線を投げかけた妖怪の存在は確かにあったにちがいないのだ。


大好きなSFにエドモンド・ハミルトンが書いた「フェッセンデンの宇宙」という小説がある。
フェッセンデンという孤高の科学者が、最近、大学に姿を見せない。“私”は彼の研究所を訪ねる。実は彼はマッド・サイエンティストである。とんでもないものを作り出していたのだ。彼が創造したのは、研究所の中に浮かぶ、本物の“宇宙”だったのだ。もちろん、ミニチュアの宇宙で、その中で小さな無数の恒星、惑星が存在していた。


顕微鏡のような遠眼鏡で観察すると、惑星の上では、生物が活動している。また、ある惑星の上では、地球上と同じように、人間が生活している。しかし、フェッセンデンと“私”はトラブルを起こし、彼は、自分の小宇宙の崩壊ととも、その生命を絶ってしまう。
“私”は、その帰りしなに、ふと夜空を見上げる。そして、その夜空の星の彼方に、ひょっとしてフェッセンデンがいるのではないか・・・・。そんな考えにとらわれるのだ。


そう、その妄想のレベルとしては、「フェッセンデンの宇宙」に登場する“私”と球磨地方で聞いたニタ場待ちする民話の漁師とは質的に同じだと思うのだ。
その恐怖の正体は、自分も無限連鎖の中に知らぬうちに組み込まれている・・・というものだ。そして、見えない位置に、自分がはかりしれない存在に観察されている・・・。


その知り合いは、話し終えると、しばらく黙した後で、突然に大きな声で「後ろ!」と叫んだ。

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