Column - 2006.11.02
第24回「時を超える話」
10月に新刊「つばき、時跳び」(平凡社)を出しました。私が今まで書いたタイムトラベルものでは、一番長い物語です。
現代の若者のところへ、幕末に生きる女性つばきが突然現れます。それから二人は恋に落ちるのですが、彼女は元の幕末の時代に引き戻されてしまいます。何とか彼女に会いたい若者は、つばきが現代に現れた法則を探って過去への旅行を試みる・・・。
そんな物語で、この後いろんな出来事が待ち受けるという仕掛けになっています。
この物語は、二年と少しをかけて書いた話ですが、十分に楽しんで書けたなぁと考えています。
舞台が想像しやすいように、熊本を選びました。だから、幕末を熊本で生きた生き人形師の松本喜三郎や、思想家横井小楠などもエピソードで使いました。
楽しんで書けたというのには、理由があります。
私は、時間を超える話が大好きなのです。それも、過去に旅する話が。
人には、絶対に克服できないものがいくつか存在しますが、その一つが「時間」です。時は過去から未来へと大きな川の流れのように進んでいきます。決して逆流することはありません。
だから、時の流れの中で生きる人々は、過去を後悔し、過去のおもいでに浸りながら生きていくのです。
もし、時を超える方法があれば、やり直したいこと、心の中でわだかまっていることを修正するために旅立つかも知れません。
ただ、因果の問題があります。過去の出来事を変化させれば、その変化がさまざまな出来事に影響を与え、現在が変化してしまう可能性が出てきます。これをタイムパラドクスというのですが、上手くかいくぐらないと、大変なことが起こるわけで、そこで、新たな物語が生まれてくるわけです。
これまでも、私は「クロノス・ジョウンターの伝説」のシリーズや「未来のおもいで」などの時間ものを書いてきましたが、物語を語る原稿枚数の関係で、プロット先行の語りになっていたという反省をしていました。
今度、時間ものを書くときは、過去の女性と現代の男性が、ゆったりと心を触れあわせるような描写をやって、まったり話を進めていきたい。
タイムパラドックスの問題はとりあえず置いといて。そんなことを、考えていました。
ヒントを与えてくれたのは、私が住んでいる古い家です。
幕末からあるという、我が家「百椿庵」に私が住み始めたのは、幼稚園の頃からです細川家の家来の家だったものを祖父が買い取って住むようになったのです。
子供の頃は、その古い家は不気味に感じられました。祖母や母は、女の幽霊を目撃したことを日常のように語っていました。
もし、この古い日本家屋が「時を超える装置」だったら。その目撃される女の幽霊が、過去の女性だったら。
それが、今回の長編を書いてみようという動機づけになったわけです。
現在は、台風十九号の後、家を大改修してからは、女の幽霊が目撃されることはなくなりましたが、結果的には、私に(遭ったことはありませんが)モチーフを与えてくれたことになります。
ですから、書き上がったお話に出てくる家屋の構造は、全く我が家と同じ構造で描いています。その点で言えば小説に登場する「百椿庵」には、全く嘘がないなと、考えてしまいます。
もし、皆さんが、「つばき、時跳び」を手に取られることがあれば、そのような点にも注意して読んで頂ければ、著者としては嬉しいのですが。