Columnカジシンエッセイ

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Column - 2007.02.01

第27回「軟弱山歩き」

ホント、子供の頃から病弱で、幼稚園に入るころまでは、週のうち五日は布団の中にいるという有様だった。だからかもしれないが、運動神経が未発達のまま就学してしまい、小学校の体育の通信簿は、いつもアヒル。つまり「2」。
ドッジボールを投げても数メートルしか飛ばず、敵にボールを与えてしまい、味方のブーイングを浴びる。ルールも知らないから、野球で左利きはなぜ三塁に走らないのかと疑問が解けない。逆上がりは足も上がらない。これで、よくイジメにあわなかったものだと不思議に思う。
球を使った競技は、精神衛生上よろしくない、と今でも興味がない。ほとんどの球技は、野球やらテニスやらピンポンやら、相手がとれない球を放つことが基本である。そんな競技をやっていたら、素直になれない。根性が意地悪くなってくる、イヤな性格になるとしか思えないのだ。そんな競技は、絶対にやらない。

そう自分に言い聞かせているが…。
だから、運動らしき運動は何もできない。で、かろうじてやるのは……歩くこと。
これは、できる。だから、できることをやる。
でも、町の中を歩いていても楽しくないので、山を歩く。
ただ、ひたすらマイペースで歩く。
人と競わなくていいから、楽である。何時までに目標を達成しなきゃと、自分を奮い立たせる必要はないから、のんびりぷらぷら「今日は、このくらいで引き返すか」」という気分で歩き続ける。気が向いたときに、気が向いた場所まで歩くのだ。
山頂を必ずや制覇しなければならないといった強迫観念もまったくない。
山では歩いていての寄り道が、楽しい。
名もわからない、小さくてもきれいな花をじっと見ていたり、山道で思わぬ山菜類を発見して、それからの行程を中止したり。
あまり気持ちのいい気候なら、木陰でのお昼寝で時間を潰すのも十分にアリである。
同じオイルサーディンの缶詰でも、下界の部屋の中で食べるのと、山の上で採ったばかりのキノコとごったに炒めて食べるのでは、味にも雲泥の差がある。
だから、山とは私にとっては「気持ちよくなるための場所」なのである。
つまり言い替えるなら、気持ちよくなれそうもないコンディションのときは、山を歩かない、そしてさっさと下る、が信条である。
急に雨が降り出したときのために、防水着を持ってはいるが、これは、あくまで緊急避難用。
降り出したら、さっさと下山するね。
スタートも、登山口に着いた途端に雨が降り出したら、登るのをやめる。車の中から、防水着を付けて登っていく人を見ると、「ホォ。物好きな!」という感想しか出てこない。雨の山頂で食べる食事ほど惨めなものはない、と知っているからである。
根性がないと言われるかもしれないが、そんな根性はなくてケッコーである。こちらは、“軟弱山歩き宣言”をしているのであるからして。
山頂で日なたぼっこ。のんびりしていると、若者が早足で駆け登ってくる。
山頂で声高に叫ぶ。「おー。一時間十分で登頂したぞ!」と。
それを聞いて、山にはいろんな楽しみ方があるのだと思う。どうもこの若者は、山頂までの時間を短縮することが山の楽しみと心得ているらしい。でも、私からすれば、バーカという楽しみ方かなと思う。そんなに速く登って、楽しむべきところを見逃しているに違いない。
雪山?
ええ、登りますよ。きれいだから。でも、膝より深くなったら、下山しますが、何か?

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