Column - 2011.08.01
第81回 仏原騒動
熊本のあまり知られていない歴史上の昔話で、いつかもっと詳しい事がわかったら、小説に書いてみたいなと思うものがあります。
話そのものが奇妙なので、創作を抑えてもかなりドラマチックになるだろうと確信しているのですが。
たとえば、加藤清正を父の仇とつけ狙ったという怪力の横手の五郎の話とか。私の自宅の近所に五郎は住んでいたので、すごく親しみがあるのです。ただ、出生も諫早の横手という説と天草という説があって(こちらは木山弾正の子だったという)いきさつが異なります。この五郎は、アメリカのポール・パニヤンなみの怪力男なのです。いずれも熊本城の井戸掘りの際に生き埋めにされますが、そのエピソードのおもしろいことは、あらためてちゃんと記したいなあ。
それから南小国の扇温泉の近くに臼根切という場所があります。ここは、隠れ里があったのですが幕末のこと六〇数名の住民が一日で虐殺されてしまったそうです。紹介してくれた地方紙の記者の方に「そこへ行ってみたい」と言ったら「やめておいた方がいいですよ。私が取材に行ったら、愛車が原因不明で動かなくなったり、わけのわからんことがあったりしましたからねぇ」
臼根切の住人は皆、隠れキリシタンだったということです。ゼウスを根絶やしにしたから臼根切と呼ばれるようになったということなのですが。ただ、ちょっと怖そうだなぁ。
そして、もう一つ。
今回のタイトルにした「仏原騒動」という事件を紹介したいのです。
私にはとても魅力的で奇妙な事件です。
いろんなところに書かれた記述を寄せ集めて、ジグソーパズルを埋めるようにして組立てたのですが、どこまでが真実なのか?あるいは、真実をその時代の権力が自分たちに都合がいいように作りかえたのかがわからない部分もあるのです。
で、どんな事件かというと。
時代は延宝二年、西暦一六七四年のこと。
今の山都町の清和に仏原という所があった。
清和文楽館のわりと近くなのですが。そこの庄屋の息子の結城半太夫は、ある夜に夢枕に立った神さまからお告げを頂いた。
「高千穂神社にある巻物を盗ってきなさい。そうすれば結城家は天下を取れるから」と。
それから、半太夫は高千穂までひた走り。
お告げの通りに巻物を発見して盗ってきた。それを弟の結城十太夫に話すとそれは凄い!とびっくり。
それから、天下を取る前祝いだと部落の若い衆を集めて宴会を開いたそうです。
巻物を座敷に飾り、年貢の辛いのももうお終いだ、さあ、これから世直しだ。
そんなこんなで、どんちゃん騒ぎ。
どうも何やら様子がおかしいと覗きに来た土地の者は、仰天してお上に駆け込み訴えた。
お上も、それは一大事と大挙して駆けつけた。かくして一味は酔いつぶれた状態で計五十三名が捕獲されたそうな。
その結果、熊本に護送され十三名は打首獄門。その首は長六橋に並べられたと。十九名は獄死。残りは追放されたという。
これが仏原騒動の顛末。
ねっ、奇妙でしょ。
何が奇妙かって、その枕元に立ちお告げをした神さまの意図がですよ。夢だと言えば、そうかもしれない、と思うけれど、よくわからない。統合失調症の一つかも知れなし。
一六三七年が島原の乱だったから、時代的にはかなり近い。だから権力側としては蜂起の芽は早めに摘んでおかなければと、神経質な対応をしたのではないかとも思えるけれど。
この話を聞いて、まず連想したのが、ジャンヌ・ダルクの話です。彼女もまず天使のお告げによって……という発端だけは同じなのですが。
比較すると、こちらの方は、ずいぶん間抜けだよね。
山都町出身の方によると、夢枕にお告げがあるというのは、別に珍しいことではなく、当たり前のことだそうです。そして、お告げとは言わず、「お知らせがあった」という言い方をするそうです。
でも……よく考えると、この伝わっている話が真実かどうかも、あやしいのですよね。
単に、税制に不満を持った仏原地区の若者たちの一揆の相談を事前に取り押さえた。
そんなことかもしれません。他地区に一揆話が拡がるのを恐れて、こんな夢枕の話を権力側が捏造したのかもしれないなぁとも思えるのです。
神さまのお告げでも、権力に歯向かえば、神さまは味方してくれないという前例にはなるし。抑止力としての風評効果は絶大だったのではないでしょうか?
いくつも、すっきりしない謎の部分が多いことも私がこの話に特に惹かれる理由でもあります。
どなたか、この仏原騒動に関してのもっと詳しい情報をお持ちであれば、ぜひ教えてください。
あ、仏原騒動跡は今でも見ることができますよ。