Column - 2011.10.01
第83回 そろそろ来るぞ!キノコの季節
十月の中旬を過ぎると、秋真っ盛りで、紅葉のニュースとかがテレビで流れたりします。で、私は何だかそわそわして、居ても立ってもいられなくなるんです。
私の趣味は、キノコ採り。
キノコはスーパーに行けば年中売ってありますが、私が狙うのは天然の…野生のキノコなのです。
マッタケなどは、金さえ払えば手に入るけれど、天然のキノコの場合、山に入ってほっつき廻らなければ決して出逢うことはできないんですね。
しかも、キノコに会える期間はすごく短い。
春にはハルシメジ。夏にはヤナギマツタケやらタマゴタケやらと、秋以外の季節でも全然見かけないわけではないけれど、十月からの山奥は種類が圧倒的に違います。もちろん、スーパーで見かけるキノコもあったりするけど、味も大きさも、全く違っていたり。ナメコも「こんなにでかいんですかー!」と連れていった方が驚かれること必至!
そんなキノコに年一回、巡り合えるんですよ。
さまざまなキノコが一本のでかい倒木に一斉に生えていることがあります。ムキタケ、クリタケ、ナメコ、ブナハリ、フチドリツエタケ、ブナシメジ。その根元の地面からチャナメツムタケやシロナメツムタケが顔を見せていたりすると、もう狂喜乱舞の世界なのです。
夢中になって採り始めると、いつしか頭の中は真っ白になっていて、心の隅にこびりついていた垢までも、きれいサッパリ落ちている。そして籠からキノコが溢れかえろうとした時、ふっと、現実に引き戻される。そして、考えてしまうのです。
ーーあと何年くらい、キノコ採りを楽しめるのかなあ、と。
とはいえ次の瞬間には、再びキノコを竹籠に入れる作業に夢中になっているんですがね。
だから、九月下旬のハタケシメジ発見やらハナイグチをゲット!あたりから十一月半ば迄が、私の黄金週間というわけです。
そこで、お願いです。この期間の貴重な時間帯に、結婚式やら法事やら、さまざまな行事をどうかやらないで下さい。あ、いや。やってもいいから、私に声をかけないで下さい。そんな野暮な用事で時間を無駄にしたくないから。
あ、キノコ採りは昼しかできないから、夜の行事は許す!
で、キノコ採りの趣味は誰にも迷惑をかけるわけではないので、こんなにいい趣味はない。だから、キノコ採りを趣味とする人々たるや、さぞ善い人ばかりだろうと思われるかもしれません。
ところが、それは違います。善人は私くらいのものですよ。キノコ採りの方々がお持ちの根性といったらもう、全くねじ曲がっているものばかり。
山中でばったり出会ったら睨み合いこそすれ、言葉なんか全く交わさない。登山者だったら「こんにちは」「おはようございます」と爽やかな挨拶を交わすのに、相手がキノコ籠を握っているのを見た瞬間に、敵意に満ちた目付きに変わっている。
たまには言葉を発する人もいます。
「もう、こっちの斜面は全部見ました。キノコ?ないですよ」
その言い草の憎々しいこと。
魚は釣っても、その場所にはまた他所から魚がやってきます。ところが、キノコは一度採ったら、その樹には数日間は生えないのです。いや、その年はもう、それでお終いかもしれない。
キノコ採りは、早い者勝ち!冷血非情のゲームでもあるわけです。
まあ、一般的にそのような状況でライバルに出くわしたら、私ほどの人格者でないかぎり、目付きは険悪になるだろうし、話し方も、つっけんどんになるだろうことは容易に想像できます。
少なくとも私は、そういう態度はとりたくありません。まるで、餓鬼道に堕ちた修羅のようではありませんか。
だから、そんなゾンビのような目付きのライバルどもが山に現れる前に、キノコ採りを始めることにしています。
朝日が姿を表す頃には、すでに近くにキノコの群生があるような状況が理想的ですね。さっさと下山して、目付きの悪いキノコ採りの外道衆と出会ったら、菩薩の如き表情で、笑釈を与えてやりたいと思うのですよ。
それから、もう一つ。
キノコを採る楽しみと、キノコ鍋を自然の中でこさえ、食す幸福は、まさに一体であることを申し上げておきます。
キノコは最低五種類以上。南関あげ、豆腐、白菜、それに鶏肉を入れて、お醤油を足し、最後にネギを散らす。これが実にうまい。自宅でやるならつくねも入れたいですね。味噌仕立てにしてもいいし、わかめスープの素でキノコを煮て、キムチと豆腐をぶち込むのもいい。
ああ、早く山に入りたい。くどいようだけど、くれぐれも野暮用で私を引っ張り出さないように。