Columnカジシンエッセイ

RSS

Column - 2023.01.01

第219回 運命を紡ぐ美女

「これは五百円の割引券と聞いたのですが」「今日は一月四日です。発行日より一ヶ月間有効となっています。発行日印は十二月二日になっていますから、もう使えません」「二日違いでは駄目ですか?なんとかなりませんか?」「決まりなので駄目です」と眉をひそめた。スーパーのレジの女性は私を睨みつけて言った。ぱっちり目をした美しい女性店員だった。だが悪意を込めて唇を尖らせていた。私がその使用不可能な割引券を引っ込めようとすると、女店員は素早く私の手から券をもぎ取る。「もう使えない割引券なので、こちらで処分します」目の前で破り捨てられてしまった。
 ひどい。二度とこの店に来るものか。しかし、断るにも言い方があるだろうに。そんなことを考えたときに気づいたことがあった。さっきの美人の店員に会ったのは初めてではない。どっかで会っている。どこで会ったのだろう。そうだ。もう十年以上前、大学生でアルバイトをしていたときの事務所の女性だ。あの女性も美女だった。
 彼女はアルバイト先を訪ねてきた友人たちの私への伝言を一切伝えなかった。私はそんな伝言は聞いていないと答えたが、友人たちは私よりその事務所の美しい女性の方を信用したらしい。友人たちは皆怒った。私がその女性に文句を言うと「仕事中なんだから、私用は二の次よ」とか「ちゃんと伝えたわよ。あなたが生返事だから覚えていないのよ」言い争って水掛け論にしかならなかった。世の中には、こんなひどい女がいるのかと呆れたものだ。あんなにきれいな顔なのに。そのために友人たちを何人失ったことか。バイト代をもらいに行ったとき、最後にもう一言文句を言ってやろうと思って探したがいなかった。聞けば退職したとのことだった。いろいろと問題のある女性だったのかも知れない。その美人だった女性の顔が、割引券拒否の女性の顔と重なった。時代は違っていても、同じ顔をしている。ぱっちりした目、薄い唇、ひそめた眉。十数年の時代差があるのに同じ顔ということがあるだろうか。
 そういえば、幼稚園の頃。観たい映画が近所の映画館でやっていて、帰りにそっと潜り込もうとしたときだ。腕を引っ張られ、きれいなお姉さんに外へ戻された。そして園児バッグに書かれていた住所に無理やり連れていかれた。きれいな顔の女は両親に私を厳しく叱るように言いつけた。
 あの女も同じ顔。ぱっちり目をした美人顔だったが感情が何も見えない。眉をあのときもひそめていた。
 幼い頃、若い頃、いつも私の前に現れて、嫌な気持ちに陥らされるあの美女。すべて同一人物ではないのか?呪いの女?いや、人の姿をしているが、人ではないのかもしれない。だから、いつの時代にも存在していたのではないか?同じ年齢、同じ容姿のまま。私を不幸にするためだけに存在する正体不明の女。いや、魔女。
 これからの人生で、彼女に会ったとき、どう対応するべきなのか。
 と考えつつ、数日後、例のスーパーの前を通ると黄色い立入禁止のテープがあり、貼紙があった。読むと、このスーパーでガス爆発があったとのこと。多数の死者を出したことが詫びられていた。もし、あの割引券が使えていたら。そして、愛想よくされていたらその後も何度もここに買い物に訪れていたかもしれない。ゾッとした。
 あの美人はガス爆発でどうなったのか?
 それから昔の友人と会い酒を飲む機会があった。共通の友人に関する昔話を語るうちに、疎遠になった友人の話題になった。事務所の美人のために生じた誤解のせいで絶交の形になった奴の話だ。「あいつ、今評判悪いんだ。昔の知り合いに次々と金を借りまくっている。お前のところに来なかったか?」「来ないよ」絶交状態ということは言わなかった。そんな奴だったのか。
 その二つの出来事から、幼い頃から嫌な思い出として記憶に残っている映画館でのことが気になるようになった。映画館はもうない。その場所は今は貸しオフィスのビルになっている。いつからなのだろう。そういえばずいぶん昔から映画館じゃなくなっていたようなあ。気になると調べたくなる性分だ。貸しオフィスの連絡先の不動産屋に尋ねてみた。「あのビルは昔、映画館でしたよね」「ええ。建て替えられました」その年月まで教えてくれた。「ちょっとした事故でね」図書館で新聞記録を調べると、映画館は火災で消失したのだと知った。私が映画館で美女に捕まり両親から目玉を喰ったすぐ後のことだった。あのぱっちり目の美女が関わっていた嫌な記憶は全て私を、結果的に悲劇に陥らないよう救ってくれたことになるのか。とすれば、あの美女は私にとっては幸運の女神…?
 いや、そうだとしても嫌な思い出が多すぎる。いくら美人でもあんな幸運の女神は嫌だ。
 そして独身だった私も彼女ができた。少なくとも、避けたかったあの嫌な美女には似ていない。少し眼は細いが、とにかく笑顔が魅力的だった。私は彼女と結婚することに決めた。毎日が夢のようだった。彼女の両親に挨拶することになった。そして予測しない出来事が。私は、絶句した。彼女の母親に会って驚いた。彼女の母親は見紛うことなき、あのぱっちり目の眉をひそめたあの顔の美女だったのだ。「どうしたの?」と彼女。「いや、なんでもない」悩んだが、彼女の魅力に逆らえず彼女と結婚した。なに、母親に会わなければいいんだ。幸というか不幸にも彼女の母親は急逝し会うことはなくなった。胸を撫でおろす。
 数十年経ち、少しづつ妻の目がぱっちりしてきた。そして、眉はいつもひそめ気味だ。美女といえる。そうだ、どこの娘も歳を重ねると母親に似てくるというのは真実だ。
 今日も妻に嫌味を言われた。あのぱっちり目で唇を尖らせて。「あなた!タバコを吸い過ぎないで!タバコは万病のもとよ!!」と。
 きっと私の身体のことを考えていってくれているのだろうし、それは私にとって正しい助言なのだろう。だが、毎日続く彼女の嫌味は耐えられない。彼女の言うことに耐え、健康に過ごすのが幸せなのか?それとも好きにストレスのない日々を送るのが幸せなのか?
 あなたはどちらを選びますか?

コラム一覧を見る