Column - 2012.06.01
第91回 生人形を訪ねる
東京に住んでいる叔母が帰郷しました。
今年八十歳なのですが、やたら元気のいいメリー・ウィドウです。
私がモノごころつき始めた幼い日。叔母は女子高生。私を方々連れ回したそうで。だから、私はあまり頭が上がりません。
その叔母が、帰ってくるなりリクエストしたのは、「松本喜三郎の生人形を見に連れて行ってくれ!」
さて、ここで松本喜三郎について、説明をしておきましょう。
松本喜三郎は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した活人形師です。熊本に生まれて人形を作り続けたのですが、その人形は生きているかのようだったので「生人形」と呼ばれたほどです。大阪で制作を続け、難波新地で「活人形元祖松本喜三郎一座」として喝采を受けたそうで、その後上京。「大蔵生人形」や「西国三十三所霊見記」で不動の地位と名声を築いたとのこと。
どのくらいの腕かというと、あまりにリアルすぎる仕上がりというか。世に評判を轟かせる前に、熊本でモデルを使って寸分違わぬ等身大人形を作り、どちらが人形でどちらがモデルか当てさせるほどだったそうです。それほど自信があったということでしょう。皮膚の質感や色までも含めてですからね。
他にも依頼を受けて日本初の義足を作ったり、東大医学部(大学東校)のために、やはり日本初の人体内蔵模型を製作したりしているんです。
でも、現代では松本喜三郎の生人形の作品に触れる機会ってないのですよね。
私は数年前に、熊本現代美術館で松本喜三郎展に行って驚愕したのです。そのときに彼の作品由来について詳しく知ることができたというわけですが。彼の作品の多くが海外に行ってしまったり、行方知れずになっているわけで、残念に思います。
喜三郎展には、谷汲観音像と聖観音菩薩像も展示されていましたが「熊本のお寺にあるのか」と記憶しました。
その後、私はタイムトラベルものの長編「つばき時跳び」を書いたのですが、幕末から現代へヒロインのつばきがメッセージを送る手段として、この松本喜三郎の人形のモデルになるという設定を入れておきました。
それを叔母は、きっちり読んでいたのです。叔母がそれほど私の本を読み込んでいたのは、光栄でもあり、お尻がこそばゆくもあり。
そして叔母は自分なりに、熊本で松本喜三郎の生人形を見れるということをネットで調べていたのです。慌てて私も確認しました。
なるほど、二体の生人形はいつでも拝観することができる。
「西国三十三所霊見記」の三十三番目の谷汲観音は熊本市高平の浄国寺さんで。そして聖観音像は春日の来迎院さんで。
電話で連絡を致しました。どちらも快諾して頂きました。無料では申し訳ないので、二人分の拝観料を封筒に包んで行ったのですが。
叔母はかなり好奇心が強い人で、どのような反応を見せるか、こちらの方も興味津々でありました。
浄国寺さんの本堂で拝観!
「へぇ。なんてきれいな。まさに生きているみたいだねぇ」
正面から見たり、横に回ったり。叔母は予想以上に興奮したようでした。私も現代美術館で見ていたのですが、そのような展示場所で見るのとは違った独特の雰囲気がありました。観音様が人の姿にに化けて旅人を導くという設定で製作されていたので巡礼の姿をしているのですが、表情まで艶かしい。
本作は松本喜三郎自身も自分の代表作と思っていたらしく、この作品だけは、手放さずに熊本に持ち帰ったそうです。
「すごいものだねぇ。どれだけ見ていても飽きないねぇ」
それから、万日山は熊本駅新幹線口近くの来迎院へ移動。
ここには、聖観音像が喜三郎によって納められていますが、こちらの生人形の場合、最初から見世物としてではなく、観音像として奉られることを前提に製作されたものなので、表情もポーズも明らかに異なっているのです。
そしてこちらのお寺でも、大変手厚く迎えて頂き恐縮致しました。
帰りの車内で「素晴らしかった」を連発していた叔母は、とんでもないことを言い出しました。
「あれは熊本の観光資源だよ。なんで誰も見に行かないんだろう。もっと積極的にPRすべきだよ。お寺さんも京都みたいに堂々と拝観料を取っていいのに。真治も、ことあるごとにPRしなさい!」
確かに、それだけの価値はある作品だと思います。だからこの場でも早速!
皆さんも熊本を訪れる機会があったら、そんな松本喜三郎の生人形をご覧になってはいかがでしょう。驚かれること、確実です!
叔母は東京に帰るまでずっと会う人ごとに松本喜三郎の話をしていたほどですから。