Column - 2023.05.01
第223回 ナンバリング・シンドローム
新しい患者さんには予診票を記入して出してもらう。「次の患者さん!えーっと」予診票を見て驚いた。名前が『884164』となっている。入ってきた患者に友人らしき人物が付き添っている。付き添いは認めていないのだが。
「すみません。彼を診てください。よく喋れないので」それでは仕方がない。
「彼は、林浩司くんといいます」すると、患者という男が「ヨ・ロ・シ・ク」とたどたどしく言った。そして付き添いの彼が言う。
「その予診票でおわかりのことと思いますが、彼の名前は数字で記入してあります。884164。はやしひろし、と書いてあるのです。これが、彼の心の病です。それで、私が付き添ってきました。今、林くんはヨロシクと言いましたが、これは4649だから話せたのです。彼は数字しか話せなくなってしまっているのです。だからコミュニケーションは無理だと私が一緒に連れてきたんです」
「そんなに悪いんですか」と言うと林という男は「ヨ・ク・ナ・イ」と答えた。4971か。なるほど。「ヨ・ロ・シ・ク・ヨ」
すると付き添いの男が言った。「私は林くんの友人のカジオと言います。彼の症状は私が説明しないと分かりづらいと思い付き添って来ました。昔は林くんはこれほどひどくはなかったんです。ただ、兆候はありました」
「どんな具合ですか?」
「普通に林くんと話していて、急に言うんですよ。ご苦労さんって数字で言えるかって。どういう意味?と確認すると、ご苦労さんを数字で言うと5963だろ?って。そうだねって答えたら、彼はうなずいて、すごく嬉しそうなんですよ。で、林くんが言うには、このことに気づいてから、気持ちがよくて、食事がうまくなったらしいんですね。そのことに気づいた夜はなぜか熟睡できたとのこと」
「ほう。それはよかったではありませんか」
「はい。よかったのはそこまで。それから林くんは、その気持ちよかった経験が心に滲みつき、人と会話するときは数字で伝えなければならない、という観念に取り憑かれてしまったのです。最初はそれでも話ができたのですが、だんだん症状が進行していく。何か言いたいのだが、数字の言葉が思いつかず、夜も眠れない。食事も喉を通らなくなったのです。なあ、辛いだろ。林くん」
林という男は喉をさすりながら、辛そうにいう。
「ナニシロ、クロー」
7246-96か、なるほどと思った。「ハヤク、ヨクシロ」889-4946と言われてもねえ。
「林さんは重度の強迫観念に囚われていると思います。数字で言わなければならないと自分で自分に暗示をかけているのが問題です。似た症状として家の鍵をかけたか気になって頭から離れなくなってしまう。胃が痛くなったり、吐き気がする人もいる。数字が気になることも、その症状の一つの例かもしれません。数字に固執するのが林さんの場合なので、仮に病名をナンバリング症候群としたのですが」
林という男とカジオが顔を見合わせたので、続けた。「似た症状に先日私が出会ったダジャレ症候群というのがあるのですよ」
「なんですか?そのダジャレなんとかというのは?」
「ええ。話をするとき、会話の中に必ずダジャレを入れなければ、会話ができなくなるという症状の人たちです」
「そんな人たちがいるんですか?」
「はい。ダジャレを言わないと心が落ち着かないらしい。話すたびにダジャレを入れてくる。この症状はオヤジと呼ばれる世代に多いですね。周りから振り向かれなくなり、承認欲求の発露として症状が顕在化したようです。これがまずいのは、伝染性があるということですね。私も『そんなひどいギャグをいうオヤジはダジャレ』とか『奥さん、そんなひどいダジャレを言って、恋人もダジャレ好きですか?ダジャレ夫人の恋人』とか言い始めて感染したかと思いました。カンセンしませんよね。こんな話」
二人は呆れている。
「ヨクヨククロナ、イシャサン」
林という男が私に同情に満ちた表情で言った。4949967-1483。よくよく苦労な医者さんと言っているのか。うん。ちゃんと数字で言えている。しかし、患者からまで同情されるとは。思わずうなづく。
「ナクナヨ、イシャサン」
7974-1483。泣くなよ、医者さん。いや、別に泣いてはいない。
で、カジオが尋ねてきた。
「そのような症状はどうやって治すのですか?いい治療法はあるのでしょうか?」
私は答えた。
「それでは、お薬を出しましょう。しばらく続けられると効果が出ると思います」
カジオと林は顔を見合わせていた。
「そんなに簡単に薬で治せるものですか?」
「ええ、薬物治療で効果を見ます。それから認知行動治療をやっていこうと思います」
林という男は嬉しそうに何度も頷いていた。
「ヨロシク、イシャサン」
私はSSRIを主にして薬を処方することにした。すると、付き添いのカジオが、熱心に言う。
「お願いします。私にも薬を処方してください。私ショートショートを書いているのですが、ショートショートの最後は必ず意外なオチをつけないといけないと思っているのです。だから意外なオチを思いつかないと、眠れない。息が苦しい。動悸がする。不安で仕方がない。だから、私も先生の処方をお願いします!」
そんな人もいるのか。
ではこれを「オチをつけないと落ち着かないシンドローム」と名付けよう。