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Column - 2013.03.01

第100回 私の書棚ですか?

先日、あるところからご依頼を受けました。
 ご依頼の内容は「書棚を撮影させてください」というもの。
 シリーズの企画のようで、いろんな方の書庫を紹介していくというものらしいのです。

 正直感心しました。読んできた本でその方の精神形成やら好みの方向がわかるのではないか、という発想で組まれた企画なのかな、と。
 ただ、書棚を、ハイご自由に撮ってくださいと即答しかねるのです。
 そのことを今回は書いておこうかな。
 幼い頃から、本大好き人間でした。というのも、その頃の私は病弱で、すぐに発熱してしまうわ、腹を下してしまうわで、小学校に入るまではそんな状態が続きました。だから、外で遊んだ記憶はほとんどありませんし、友だちなんてもってのほかでした。
 そのときの反動で今はアウトドアが好きなのかなあ、と思うのですが、それはまた別の話。
 そんな状態で今の私に大きな影響をもたらしたことが二つあると思います。
 一つは、食に対しての渇望。毎日が、絶食あるいはお粥と鰹節だけの食生活。その頃の治療法はそれしかなかったのかな、と今では思います。飢餓感だけはあったので、病気が治ったら何を食べたいというリスト作りをせっせとやったのです。「ステーキ」とか「カステラ」「アイスクリーム」「オムライス」「たまごやき」と書いていたのを覚えています。
 今でも、珍しい食べものに目がないというか、いやしいというか。そのせいですね。欠食児童の残像現象みたいなもので、決してグルメではありません。
 さて、二番目。こちらが今回の主題です。
 病気で動けなかったから本を読むことしか楽しみがなかった。テレビもない時代のこと。ひたすら本を読んでもらい、字を無意識に覚え、小学校に入るときは、無差別に本を読み漁る状態でした。本を読む楽しさに開眼したわけです。その頃には絵本は卒業。ひたすら読み続ける。しかし、無制限に本が買い与えられるわけではないので、買ってもらった本は何度も暗唱するほど読むわけです。そして、大人の本だろうがなんだろうが家にあった本も次々に読みました。お気に入りの本は何度も読みましたね。それから読んだ本は、またいつか読むかもしれないと思いこんだ気がします。
 本棚が、どんどん増えていきました。読んだ本が処分できないから。また、いつか読むときに見つけられなかったらどうしようという不安。それに加えて読みたい本を探して買ってくる。その頃、コレクターと呼ばれたこともありましたが、実は、「読みたい本を買ってきて、読んだ本を捨てなかった」だけに過ぎないのです。
 我が家は古い家ですが、オンボロな代わりに貯蔵スペースには事欠きませんでした。だから、物心ついてから買った本は、山のように残っていたのです。
 処分すべきかどうか迷いつつ。いつかまた読みたくなるかもしれない。そんな気持ちで。
 さて、20年前に熊本を台風19号が直撃しました。そのときは、我が家も大きな被害を受けました。あばら屋と化し、雨月物語の世界みたいな家になって。そして、幼い日から溜まりに溜まった本たちも雨に濡れ、膨れ上がって……。
 そのとき、やっと決心がつきました。助かった本たちは熊本市の図書館に寄贈したのです。何千冊あったかな?
 すると……。
 本に対する執着が嘘のように消えていたことに気がつきました。読んだ本が処分できなかったのは、妖怪「本とっとけ」の呪縛にかかっていたのだと気づきました。長年本を溜め込み、その本たちが妖力を持ち、私に本を集めさせていたのです。
 以来、年末になると、その年読んだ本は古本屋に売り払うことになりました。
 すると、これまで気がつかなかった物の見方ができるようになりました。
 本というのは心を豊かにするために読むものだ。だから、心のご飯だと。
 で、読み終えた本というのは、もう必要ない、心が養分を吸い取ってしまった心のウンコみたいなもんだよな、と考えるのです。
 つまり、書棚を見せてくれというのは、心のトイレを見せてくれというのに等しいのではないか、と。(暴言であることは承知しております)
 だから、最初に書いた「書棚を撮影させてください」というご依頼。
 一応、その通りに申し上げるつもりであります。どう判断なさるんでしょうか。
 ちなみに、昨年の読書本は処分したばかりなんですが。

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