Column - 2023.11.01
第229回 守ろう、食文化
突然の異動辞令だった。赴任先は初めて聞く地名の地方都市だ。単身なので、何も調べることなく移動先の支社に向かった。
支社は支社長と二人だけ。本社が送り込んでくれたメンバーということで、大歓迎を受けた。聞けば、支社長は現地の方とのことだった。穏やかな雰囲気で安心した。しかし、街を歩いてみると、何か違う気がする。その正体がわからないのがもどかしいのだが。それを除けば平凡な日本の地方都市だと思う。この違和感はなんだろう。
支社長が声をかけてくれた。最初の日だし帰りに一杯やらないか!と。もちろん断るわけにはいかない。行きつけの店ということだった。やってきたのはいかにもサラリーマン居酒屋という雰囲気の店だ。「まっしぐら」という店名。いい匂いのたち込める店内。支社長が「ビールと、適当に焼いてね」と言うと、すぐに串が出てきた。コップを合わせて乾杯すると支社長が喉を鳴らす。「おー、まずコバンか。王道だな」と串を手にした。私も串を取り口に入れる。甘い醤油味のジューシーさだ。しかし、なぜ、コバンというんだ。焼き鳥にも呼び名はいろいろある。胎内のタマゴをチョウチンと呼ぶし、肛門をボンジリと呼ぶ。「次は、ババとカリマシタです」変な部位の名だなと思って齧る。独特の食感だ。うまい。夢中で食すと支社長が満足そうに頷いた。
「うまいだろう。ここの独特の食文化だからね。この美味しさがわかれば、立派なこの土地の人間だよ」
私も同意した。「ここだけの味かあ。この土地で仕事できるようになってよかったです。こんなに美味しい焼き鳥は初めてですよ」
支社長は大きく笑った。
「こりゃあ、傑作だ。この串は、焼き鳥なんかじゃないよ。外の看板見なかったのか?居酒屋焼きネコまっしぐら、とあったろう」
「焼きネコ?焼き鳥じゃなくて?」
支社長は得意そうだ。な、なんてことだ。猫は大好きなのに。まさか串になって食べさせられるなんて。信じられない。なんと残酷残虐な土地なんだ。それで、この土地に来て感じていた違和感の正体がわかった。
この土地は港町にも関わらず、猫を一匹も見かけないのだ。猫たちはどうしたのだ。食われてしまったのか。
「へぇ次の串は、またたび焼きです」
新しい串がさらに置かれた。なるほど、焼き鳥の串の名にしては変な名前の部位と思った。猫にちなんだ串のネーミングだったのか。コバンは猫に小判。ババはネコババ。カリマシタは“猫の手を借りたい“からか。呆れた。そして猫好きな私は吐き気‥‥、を催すかと思ったのだが‥‥、うまい‥‥なんということだ、私は焼き猫の美味しさの虜になってしまったようだ。目の前のまたたび焼きに口内でじゅるっと唾液が溢れてきた。串を手に取り咥える。やはり美味い。私の舌が素直に反応する。噛みごたえが‥‥。自分の残酷さに呆れた。
「ねっ!この土地は最高だ。よそでは焼きネコは食べられないからね」と支社長は得意そうだった。
すると居酒屋の店主の顔が曇った。「ありがとうございます。でも、この店もやめなくてはならないようなんです」
「なんでこんな美味しい焼きネコ屋を閉めるんだ。なんとか続けてくれ」
「へぇ。実はこの都市の猫はほぼ食い尽くされましてね。材料が手に入らないんです。仕事を続けようにも、このままでは焼き鳥屋に商売替えしなくっちゃならないかと悩んでいたところなんです」
「それはいかん。この土地の焼きネコ文化は守らねばならん。そうだ。新しい猫の肉が手に入れば焼きネコは存続できるんだね」
「そりゃあ、もちろんです。けど、誰が猫を調達するんですか」
「そりゃあ、私たちだ。近くの山に猫たちがいっぱい生息していると聞いたことがある。そこで捕獲してこよう。君も、一緒に今度の休日に」
と、支社長は私の肩をポンと叩いた。私は「あ、はあ」と生返事するしかなかった。「しかし‥‥」と心配そうな焼きネコ屋の店主。
で、次の休日に私は近くの山まで、支社長のお伴ということになった。そこで、山に住む猫たちを狩って店に提供しようというのだ。支社長はニッカポッカを履いて猟銃を持ちハンター帽をかぶって万全のスタイルで現れた。私はといえば猫を狩るなんて生理的に駄目なのだが、これも業務命令の一環だと自分に言い聞かせて渋々ついていく。
「猫を狩ったら焼きネコ屋の親父、喜ぶだろうな。なかなか客に出さない貴重な部位を食べさせてくれるかもしれないぞ」と上機嫌でいた。
さて、山には入ったものの、話とは大違い。肝心の猫の姿は、まったく見当たらなかった。このままでは獲物はゼロだ、と支社長は山の奥へ奥へと入っていく。すぐに猫果が得られるものと考えていたらしい。やがて頭上にあったお日様も傾き始めた。昼過ぎだ。
「腹空きましたね」と弱音を漏らす。すると樹々の向こうに古めかしい屋敷が。レストランと文字が見える。
「腹が減っては戦はできぬ。ここで食事だ」と支社長。
中へ入ると誰も出てこない。ただ貼り紙が。「ここで着ているものをすべて脱いでください」
二人とも変だと思いつつ素っ裸になって次の扉を開く。ここにも貼り紙が。「全身にこのツボの中のクリームを塗ってください」支社長は疑うことなく全身にクリームを塗っている。この話は聞いたことがある。知ってるぞ。宮沢賢治の‥‥。そうだ、ここは山猫軒だ‥‥。この土地は弱肉強食の食文化でもあるのか?周りを猫たちの鳴き声が迫ってくる。
ここでは捕食者の頂点を人と猫が競い合っているのか!
私たちの悲鳴は猫の鳴き声で消え去ってしまった。