Column - 2023.12.01
第230回 ピエロの日
帰宅すると封筒がきていた。赤と白と黄色の奇妙な模様が描かれた封筒で、嫌な予感がする。
開けると予感は的中した。
抽選に当たった成人はその地域で六ヶ月間ピエロにならなくてはならない。これは法で定められたことだ。法が制定された当初は騒がれたが、今はもう理由が云々されることはない。既成の法があるという認識だけだ。
そして何ということだ。私が“公共道化師従事者“に指名されてしまうとは。拒否することはできるが、拒否者の氏名は報道され、皆に知れわたる。そしてピエロを拒否した反社会人物として世間から白い目で見られることになる。挙句、一家心中に追い込まれた例も知っている。「お父さん、荷物が届いたよ」と息子が教えてくれた。けっこう大きな箱だ。開けてみると、私の体型に合わせたピエロの服が入っていた。帽子もあるし、私の足の倍はあろうとかいうドタ靴も入っていた。そしてドーランなどピエロのメイク用品も一式。もちろんピエロ期間中も、私の私生活はこれまで通りだ。しかし人前ではピエロの格好で過ごさなくてはならない。事務職であればいいのだが、私は営業職だ。それをピエロ姿でやらねばならないとは。そのことを前もって会社の上司に報告すると「たいへんだね。無事に務めあげてくれ。兵役に行くと思って」と激励してくれた。妻も「大丈夫?」と心配してくれた。ただ「公共道化師報酬」が出るのが慰めだが、額は微々たるものだ。これは地域社会への奉仕と自分に言い聞かせるしかなかった。
さて、私の「ピエロの日」がやってきた。服を着て顔に化粧をして、つけ鼻をする。帽子をかぶって鏡の前に立つと、立派なピエロだ。妻が私を見てぷっと吹き出し、申し訳ないと思ったのか顔を覆った。そして言った「お義母さんが見えましたよ」心配で駆けつけてくれたようだ。母は私を見て言葉も出ない。顔を伏せ肩を震わせている。泣いているのか?あまりの哀れさに。違った。母は泣いて肩を震わせているのではなく、笑いを堪えていたのだった。それから息をヒィヒィ押し殺して私に言った。「無事に、立派に、半年お務めしなさい」もう私に逃げ道はないようだ。
出勤のため玄関を出ると、そこは人の山だった。一目だけでも私を見ようと広報を見て集まってきていたのだ。皆が私にスマートフォンを向ける。新人のピエロをS N Sに載せようというつもりらしい。カメラの音と歓声。
役所の担当者が近付き、いくつかの確認事項を読みあげ、感謝を伝えて去っていった。
それから私は電車に乗り職場へと向かう。電車に乗ると、乗客たちが歓声をあげた。「ご苦労さまです」と。「どうぞ使ってください」と席を一列空けられた。仕方なく座るとここでもスマートフォンで撮られ始める。一人だけ幼児が大声をあげて泣き出した。「怖いよー。あの人怖いよー」と。きっと“道化恐怖症“の子どもなのだろう。申し訳ないと思う。そういえば、ホラー映画でもピエロが登場する作品は多いものな。そして会社へ。ピエロ姿を見て女性社員が大興奮。「ほんとだったんだー」近づいてこない人と、駈け寄る人。人の反応は二極に分かれていた。そして上司は前日までは「立派に務めろよ」と言っていたくせに、腹を抱えて笑い転げていた。それまで言っていたことと、反応がまるで違うのだ。同僚からも私がいないところで上司が、あそこ迄不様にやれるのかね、と嘲笑っていたと聞いた。どうして、そんな抽選に当たったのか。得意先への営業ももちろんピエロ姿だった。得意先の私への反応がそれまではややツッケンどんだったのが、ピエロ姿だと逆に丁寧になったのは意外だった。
それも最初の頃だけ。なぜ期間が六ヶ月かという理由もぼんやりとわかったような気がした。周囲の人々も私のピエロ姿に馴れて来たようなのだ。私も顔のメイクを変えてみるようになった。口角を下げて書いてみたり、びっくり目にしてみたり。服も他の縞々模様にしてみたり。私自身もピエロ姿が当然だと思うようになり、通勤電車に乗っても何も感じなくなる。もちろん、いくつかのできごとが私がピエロ姿になってから起こった。たとえば妻の反応。私が外出しようと誘っても何かと理由をつけて断ってくる。やはり、こんな姿の私とどこかへ行くということが妻には耐えられないことなのか。それを妻に尋ねてみたいのだが、尋ねるのが怖い自分もいる。
小学校から帰って来た息子が泣きながら言った。いじめられたらしい。「ピエロの子ならピエロの子らしくもっと面白いことやってみろ。ピエロの父親は家でもピエロなのか」と。
ピエロの日がスタートしたときは、息子も小学校では得意そうだったというのに。世の中は、そんなものらしい。普通の自分とピエロになった自分。わからなかったことが見えてくるシステムではあるなあ。ふとそう思う。そして、その期限まで残りが少なくなってきた。ピエロは涙を顔に書き込むのが多いとか。滑稽な外見でも悲しみを内面に秘めているということなのだろう。私の顔に描く涙がだんだん大きくなっていったある日、見知らぬ男が私に近づき話しかけてきた。「私、公共道化師事務局のものです。道化師従事ご苦労様です。もうすぐ任期が終了ですが、少しシステムが変わりました。これからは抽選ではなく前任者が後任の道化師を指名できるようになりました。ですから次はどなたを指名されます?」
そう言われて考え込む。やはり、口では上手いことを言って悪口を言ってた上司なのかなあ。
いや‥‥いや‥‥いや。
それは‥‥‥、お前だあ!!