Column - 2024.03.01
第233回 花咲か爺さんの陰で
三月の下旬。サクラの蕾も膨らみ始めていた。来週には咲き乱れて、この公園も凄いことになるのだろうな、と散歩していたときだった。
一人の老人が恨めしそうにサクラの木を眺めていた。
老人は痩せて貧相だ。おまけにゲジゲジ眉のギョロ目。いかにも欲が深くて意地が悪そうだった。
どうもこの人は見覚えがある気がする。だが会ったことはないような。なぜだろう?思わず声をかけた。
「あなたはひょっとして……」そこから先が言葉に詰まって出てこない。
誰だったろう…。
「わかりましたか!?」と老人は目を輝かせた。
有名人だろうか?
「そう。私は花咲か爺さんの隣に住んでいた通称“いじわる爺さん“ですよ。そのような目で世の中の人からは見られている。ちがうんです。これには大きな陰謀が隠されている」
「ええっ!」
「サクラが咲き乱れる時期が来ると、辛い思い出が蘇る。私の話を聞いてくださいな」
いじわる爺さんは、腰を下ろすと天を見上げてとつとつと話し始めた。
「うちで畑をやってましてね。種を蒔いていると、必ず白い犬がやってきて掘り返すんですよ。二度三度と繰り返すので追い払った。その犬がいつの間にか隣の老夫婦の家に住みついたんです。まあ、それでもこちらに悪ささえしなければよいか、と思ってました。その頃、近くに盗賊が出るという噂があり、物騒なので家の近くの松の木の下にやっと貯めた財産を埋めて隠したんですよ。それを隣の白犬が見ていたんでしょうね。気がついたときには、隣の爺さんをその松の木まで連れて行って掘らせていた。隣の爺さん大喜びですよ。犬が教える場所を掘ったら金目のものが出てきたんですから。そりゃ、うちのものだと主張したが土の中にあるものは誰のものでもないはずだ、と。そう言われたらこちらはぐうの音も出ません。おかげで私は無一文です」
「隣の爺さんに頼み込んで白犬を借り出して『あれはうちの財産だったんだ。どうして隣の爺さんに』と愚痴ると、なんと人間の言葉で私に言ったんですよ。『ふ・ふ・ふ…実はわしは犬じゃない。こいぬ座プロキオンから地球を侵略しにきているエイリアンだ。犬の姿は、怪しまれないように地球征服活動をするため。その間の暇つぶしにやっただけだ』」
「地球征服とは大変だ!私の財産どころではない。私はそのとき手に持っていた鍬で反射的に犬に化けたそいつを殴り殺しました。私は地球を救ったんです。だが、そのことを隣の爺さんに伝えても信じてもらえません。そして私の目を盗んでエイリアン犬を埋葬していたのです。しかしあいつは黙って死んでいるような生やさしい奴じゃなかった。自分はまだ死んではいない。征服するどころか、いっそ地球を滅ぼしてやる!そう私の夢枕で宣言するのです。もう、犬の体はいらない。これからは好きなように隣の爺さんの肉体を操ると。隣の爺さんは憑かれたように松の木を切り倒し、犬エイリアンの命ずるままに臼を作り始めました。つくと金銀が生まれてくる臼です。それで爺さんばかりか他の人々をも惑わそうとしていたのです。私はなんとか隣の爺さんを欺き、跡形もないように臼を燃やしたのです」
「これで一件落着と思ったのですが、隣の爺さんは燃やした臼の灰を持ち出しました。まだエイリアン犬に操られていたのです。その灰には人々を幻覚に陥れる力がありました。灰を吸うと、どうも人々の脳は美しいものを見たと錯覚して、自分では何も判断ができなくなり、犬エイリアンの傀儡となってしまうらしいのですよ。その灰を老人は蒔いて回りました。人々の目がどろんと濁っていたから、美しく咲いたサクラの花でも見えたのでしょう。それは仮想現実のサクラです。私は鼻口を布で覆い、その様子を見届けました。これではいけない。私は密かに人心を惑わす幻覚灰の解毒剤の開発に着手しておりました。しかしそれが完成したときはすでに遅く、エイリアン犬の奴隷と化した自称“花咲か爺さん“に殿さままでも枯れた松にサクラが咲く幻覚を見せられていたのです」
「私は殿さまの前に飛び出し、幻覚灰の解毒灰を天よご照覧あれ!とまき散らしました。殿さまの視界は奪ってしまったものの、無事に幻覚からお救いすることができました。私はこうしてエイリアン犬の恐怖と陰謀を阻止したのに、殿さまのお怒りも誤解も解けず、ついこの間まで牢で服役しておったのです。やっと解放され、本物のサクラが咲くこの公園にやってきました。ここでは、もうすぐ天然の美しいサクラを見ることができるんですね。私は世の中では欲の深いいじわる爺さんということになってしまいました。なにそれでも構いませんよ。なにが真実か皆が知らなくても、世の中の陰謀を私が防ぐことができた、そう考えれば満足なのですよ」
そうだったのか。世の中は陽と陰でできている。なにが真実なのか?それは大事なことだが、真実のわかる人間がどれだけいるというのか。
さっき恨めしそうに見えた老人の表情が、私には実は世界を救った満足の表情に見えるようになったのは皮肉なことだ。
すると、近くのサクラの木の下に老婆たちの姿が見える。目が合うと老婆たちは私に近づいてきた。そして語りかける。
「舌切り雀の真実を知りたくありませんか?どうやって世界を守ったか」
「どうやってヘンゼルとグレーテルの不良兄妹を躾けることができたのか、詳しくお話しできますよ。この火傷ももうすぐ治ります」