Column - 2024.06.01
第236回 笑顔の真相
私にも悩みがある。
自分の心を偽ることができないのだ。仕事はおかげで評判よろしくない。何故かというと、考えていることが、そのまま表情に出てしまう。
百貨店に勤めている。売場にいたのだが、お客が服を買いにきた。どんな服を着ても似合いはしないようなお客だった。お客は気に入った服を見つけて試着したいと言いだした。
お客の要望はかなえてあげるのが鉄則だ。試着室を出てきたお客から「どうかしら、似合うかしら?」と尋ねられる。
とても、お世辞にも似合うとは言えないのだが、売上を伸ばすためには仕方がない。「とてもお似合いですよ」と答える。
だが、お客はぷんぷん顔で品物を返すと、売場を出ていってしまった。
あれほど似合うとほめたのに。
すると、売場の上司に呼ばれた。
「どうして断られたかわかるか?」
「わかりません」
「自分の顔を鏡で見てみろ」
言われたとおりに鏡をのぞいてみる。
自分でも呆れてしまった。私の表情は苦虫を噛み潰したような顔になっていた。「そんな顔でお似合いですと言われても、誰も信用しないんだよ。信用される表情をしろよ」
だから、本質的には接客には向いていないのだと思う。心の中が、そのまま表情に出てしまうらしい。もちろんそんなふうだから恋人もできない。
恋人ができると、最初は言うことと表情が一致して何も問題ないのだが、しばらく経つと、恋人から何かを話しかけられても上の空の表情になってしまうらしい。
恋人は哀しそうな表情を浮かべて「あなたは私が言うことが余程つまらないのね。もう一緒にいても楽しくないのね」と去っていく。
だから恋人と数ヵ月も続かない。
恋人を嫌いになったわけではない。以前ほど笑顔が続かなくなったのは恋人に慣れてきただけのこと。もっと愛想よくすればいいのかもしれないが、やはり気兼ねしなくていいんだという安心が仏頂面として現れてくる結果になった。
もちろん努力はした。
ここは笑顔でお客に話すところだ!という場面はわかる。だが、笑顔が作れないのだ。鏡を見て口角を上げてみたり目を細めてみたりするのだが、顔は固まったまま。
このままで自分の人生は終わるのかと思っていた。
だが、奇跡が起った。予測できない奇跡が。
あるランチのときに最近できたばかりのカレー屋に入った。そしてチキンカレーを注文した。
職場に戻っているとき、顔が小さく痙攣するのがわかった。その感じは、職場に帰りつく迄続いた。
今、バックヤードの人に会わない場所で在庫の管理をしている。しかし、売場を過ぎて自分の仕事場へ行かなければならない。そこで売場にいたお客に「いらっしゃいませ」と挨拶して仕事場に入った。すると…。
売場担当者が、大あわてで駆け寄ってきた。
「お前にお客様が相手してほしいってさ」
「何故、私に?」
「いらっしゃいませと言われた笑顔が素晴らしかったから、あの笑顔の店員さんにお願いしたいって」
「まさか。笑顔を浮かべたつもりなんてない」
自分でも信じられず、近くの鏡を覗きこんだ。そして笑顔を作ってみた。
なんと素晴らしい笑顔だ。いや、本心の笑顔ではない。作り笑いだ。あれほど顔が強張って仏頂面しか作れなかったのに。
久しぶりの接客の仕事ではあったが、喜んで買っていかれた。作り笑顔の効果で思いがけぬ売上を記録できた。
続いて来店したお客にも次々に接客。あっという間に一ヵ月分の売上をあげた。
ここ迄実績をあげるとは。しかも急に。
理由は?
チキン・カレー。
あの店のカレーを食べてからだ。心にもない作り笑い、愛想笑いができるようになったのは。何故なのかはわからないが。まるで、魔法のカレーだ。おかげで仕事は順調だ。
翌日、午前中に表情が強張りかけたから、あの店へ早目に行き、カレーを食べた。おかげで顔の筋肉が癒されてきた。
正式に売場担当に指名されることになった。実績も認められたのだろう。新しい彼女もすぐにできた。口ではうまいことが前から言えたのだが、それに笑顔が不足していたのだ。今となっては鬼に金棒。彼女からは「あなたが笑顔で話していると、もう魅力的で離れられなーい」とまで言われてしまった。仕事もプライベートも絶好調。しかし、これは作り笑い、愛想笑いということは自分でもわかっている。人の表情と本心は一致しないということは、わかっておいた方がいい。
それからもすべては順調そうに思えたのだが、何故か少しずつ売上が落ちてきたように思える。あれほど、笑顔が好きだ、と言っていた彼女も冷たくなったような気がする。
あれからも、あの店でチキンカレーを欠かさず食べている。作り笑いも愛想笑いもレベルが落ちたとは思わないのだが。
そして同僚の一人にこう言われた。
「最近、売上落ちたでしょう。お客が言ってたんですよ。あの人、笑っても心からじゃない作り笑いだとわかるのよね。だから言うことも甘いことばかりと思う…今一つ信じられなくて買う気がおきないって」
翌日、ランチに行くとカレー屋の主人が言った。
「実はうちのカレーは辛さが選べるんです。これまでカレーの辛さをお聞きしてなかったんですがいかがなさいます」
初耳だった。意外だった。選べたのか!それがわかれば!!
「今日からは、最高の辛口にしてくれ」