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Column - 2017.03.01

第148回 桜三月夢見月

 早いものですね。あっという間に三月を迎えます。
 三月と聞くと、昔から私は「夢見月かぁ」と思ってしまいます。三月は弥生というんですが、別の呼び方で花見月とか夢見月とも言います。三月には桜も咲き始めるのですが、桜のことを夢見草とも言っていたので、夢見月という言い方が生まれたのだそうです。
 夢見月という名はわたし的には大好きです。ロマンを感じますよね。三月というと、慌ただしそうだなぁ、と焦立ちさえ感じるのですが、夢見月というとホンワカした長閑な気分になってくる。
 春眠暁を覚えず、とも言うではありませんか。春になると、どれだけ眠っても寝足りない気分になりますよね。夢見月って、てっきりそんなところから来た言い方なのかなとボンヤリ思っていましたが違っていました。
 四月は日本では新年度ということで、新入学、新入社、はたまた異動で新しい赴任地へ、という節目の月だと思います。そんな時期に入る前の月として、誰もが新しい環境に希望を膨らませ、理想を夢見る時期だからとも解釈したことがあったのですが、それも違うだろうという気分。
 単純に、夢を見る月だから夢見がいい月で、夢見月と考えたほうが楽しいな。
 といっても、夢にも、見たい夢と見たくない悪夢があったりします。できたら楽しい夢やら、会いたかった人と一緒に過ごせる夢がいいですよね。
 最近、スマートフォンのアプリで「見たい夢が見れる」というものがあることを知りました。どうやるかというと、アプリに見たい夢のメニューがあり、そこから自分の見たい夢を選んで起床時間を指定し、スマートフォンを枕元に置いて寝るんだそうです。するとスマートフォンが睡眠状態を検知して、選んだ夢にちなんだ音声を流すとのこと。
 本当に見れるんだろうか?
 私の見たい夢は恥ずかしい夢だから、メニューには載っていない気がするなあ。もご、もご。
 どこまで覚醒していて、どこから眠っているのか、境のわからないことがよくあります。若い頃は、身体が疲れていて夢も見ないで熟睡していたということもありましたが、最近は、「眠れないようなぁ」と自分では目を覚ましているつもりで、どうしてこうも眠れないんだろうなぁと愚痴っていると、突然に目覚まし時計が鳴り出して、「ハッ!」起きていると思っていたのに夢だったのか、と愕然とすることがあります。もっといい夢ならいいのに。
 眠れない、と苦しんでいる夢なんて、凄く損した気になりますよね。これは境の分からない夢の例。
 逆に、何やら吉報が次々に舞い込んで来る夢とか、松茸の大群生を見つけて狂喜乱舞する夢とか。オードリー・ヘップバーンが若いまま会いに来てくれて、流暢な日本語で話しかけてくれるとか。目が覚めたとき、なんだ夢かよとわかって悔しですが、こんな夢は「なんだ夢かよ」だったとしても、いつまでも覚えています。夢でもいい。体験した記憶は残るから。
 で、ときどき、ああ夢を見ている、これは夢なんだ。今自分は眠っているんだなぁ、とわかることがあります。
 夢には色がない。天然色の夢を見る人間は狂っていると、親類の精神科医に言われたことがあるのですが、こんなときは夢の色はモノクロではなくカラーですね。
 明晰夢(めいせきむ)と言うのだそうです。この夢を見ているとき、これは夢なんだから、せっかく夢に出てきたんだから、夢の中の出来事は誰にも咎められない、と考えている自分がいる事に気づきます。
 実は私は禁煙して十年近くになりますが、今でもタバコを吸おうとしている夢を見ます。これは夢なんだが、きっと潜在意識下ではタバコを吸いたがっているからこんな夢を見るんだろうな、と。で、夢なんだから吸ってもいいんじゃないか。そう考えていると、誰かが火の着いたタバコを手渡してくれる。それを口許に持っていくとタバコの匂いがはっきりする。夢なのに。
 そして、咥えようとした瞬間。
 目が覚めるのです。
 夢であろうと、タバコを吸ってはいけない、と自己規制が働くのでしょうね。よほど私は本質がクソ真面目にできているというか。
 明晰夢を見る方法を掘り下げていくと、もっとバリエーションに富んだ自由な夢を体験させてくれる技術が開発されるような気がします。そしたら、夢オチも、もっと複雑な話でアリ、ということになる気もしますし、夢見屋という職業ができたらやってみたいものです。
 夢見月ですから夢みたいなことでご勘弁を。

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