Column - 2016.12.01
第145回 復興城主になりました
さて、熊本地震から半年が過ぎました。夢を見たような気もしますが、解体されて更地になった我が家跡に立つと、夢じゃないよ、現実だったんだよ、と思い知らされます。
二回の震度七という烈震に見舞われた後は、しばらくアドレナリンの分泌が凄くて震災躁病状態が続きました。異様に早く依頼原稿を上げたり、変貌した街の様子を見に足が棒になるまで彷徨したり。
いやぁ、これほど様子が変わるとは。倒壊した家屋が道を塞いで通行不可能になっていたり。橋の外れてしまった川に、自動車が落ちないように黄色のテープが張り巡らされていたり。大渋滞の自動車の列を横目で見ながら歩きまわりました。歩いていても、道路が盛り上がっているのがわかるほどでしたからねぇ。
最初の地震のときは、なんとか頑張ろうと自分に言い聞かせて、しゃかりきになって作業に励んだのですが、二度目の地震で心が折れました。
もう、熊本は駄目かもしれない。本当、そう思いました。
そして足を向けたのが熊本城。
やはり、熊本城直下の商業施設、城彩苑(じょうさいえん)から上は入れませんでした。方々で石垣が崩壊しているのがわかりました。よもや......。
熊本城が見えました。満身創痍。
屋根瓦が落ち、土埃をまだ舞わせてはいるものの、熊本城はなんとか立っていました。
よかった。
心から、そう思ったものです。
熊本は、まだ、いける。
熊本城から、そんなメッセージを貰ったような気がしました。
もちろん、今だに城内には入れませんし、城の周囲を歩けば、崩落した石垣の山を方々に見ることができます。
熊本城が元通りの姿を取り戻せば、真に熊本が復興したと心から思える。皆が、そう思ったはずです。
そして、半年が経過した十一月一日から、熊本城の復興城主制度がスタートしました。これまでも、熊本城一口城主制度はあったのですが、今回は熊本城の再建に絞り込まれています。一人一口一万円以上。
もちろん、私は大喜び。
別にどんな特典があるというわけではありません。城主手形と熊本城ブックレットがもらえるくらいのことです。あ、それから書いてはありませんが、熊本城再建という「希望」を貰えます。
朝九時から城彩苑の湧々座にて受付するということで、初日に、朝から出かけました。九時前に到着というイメージで。ところが......仰天しました。九時前なのにもう数十人の列が出来ていました。九時五分にはもう手続きを終えて仕事場へ戻れると思っていたのに、大きな誤算です。なかなか列は進まない。テレビカメラが来ていて隠れるのに苦労しました。
待っている時間が長くなり、前後の人たちと世間話が始まりました。その話題は、「自分はあの時」という「我が家の被災自慢」。二度目の揺れのときに夫婦喧嘩をしていたのが、おかげで仲直りできたとか、揺れで土間まで飛ばされたとか、倒れてきた箪笥が、身を伏せた眼の前の壁で止まって潰されずに済んだ。もう、そんな話ばかり。我が家のぐうたら娘が避難所でテキパキ皆のために動いていて感動した、といった心温まるエピソードまで。水が不足して、インスタントラーメンをポリポリ齧ったとか、皆で笑いながら。おもしろおかしく。これが今の見知らぬ熊本人同士の話題なんだなあ。
みなさん、我が家が被災してのっぴきならない状況なのに、熊本城の復興城主にならんと我先に寄付の列に並ぶ。
熊本の新しいもの好きを「わさもん」といいます。わさもん、そして熊本城好きは熊本人の気質なのかなあ。あ、私も同じか。そんな熊本の人たち、私は大好きですよ。
と、振り返ると列はぐんぐん伸びて長蛇に。係の人に尋ねたら、なんと四百人は並んでいたとのこと。凄いぜ!
熊本城は、熊本のランドマークだ!と私は思っています。熊本城が復旧したときに、熊本が復興を完全に果たせたと実感できるだろうな、と思っています。
それが何年後になろうとも、必ず復元されて素晴らしい勇姿を取り戻すと信じつつ。