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Column - 2016.09.01

第142回 年金生活者、家を建てる

 まだ、我が家は解体に至っておりません。解体業者さんの順番がまわってこないもので。
 仕事場の近くに駐車場を借りているのですが、その駐車場に附属の建物がありまして。地震の後は「ヤバいよ!これぇ」状態になり、近々取り壊しますの貼紙があったのですが、なかなか取り壊し作業が始まりません。やっと7月末から解体が始まったほど。事情を訊ねると、解体件数が多すぎて、なかなか順番が回ってこなかったと。
 熊本市の状況はどこも似たようなものです。
 地震後、市内のビルは方々で表面に足場が組まれ、カバーで覆われています。蛹が孵化する前の状態のように見えるので、私はこんなビルを繭ビルと呼んでいます。繭ビルが孵化したときが復興したときかな、というイメージでおりました。
 それが、ちっとも減らない。
 我が家までなかなか順番回ってこないはずだなあ。
 中央のマスコミではあまり熊本地震について触れられなくなりましたが、実は復興はあまり進んでいないのですよね。ある一定の比率で、復興を目指していたお店が閉店の結論に至ったことを知って哀しい思いをしたりしています。かなり努力された挙句、諦められたと知ると残念でなりません。
 公園に行ってもわかります。仕事場近くの公園は自動車の駐車が禁じられているのですが、自動車がびっしり。車中泊をしておられるのですね。「半壊ですが、人が生活できる家ではもうありません。半壊と大規模半壊で扱いがなぜこうも違うのでしょう」と、支援の格差を嘆いておられました。そこいらは、他でも感じています。避難所で他の避難者のプライバシーのことや気遣いでノイローゼになりそうだという話はたくさん聞きました。だからといって、自宅の軒先にビニールシートで生活空間を作って過ごしておられる方が良いのかいうと、そうではありません。避難所暮らしの方は、避難者リストに名前があるので支援物資の配給が受けらますが、自宅軒先避難ではリストに名前がないので全く物資に縁がない、ということになります。
 地震直後は"少し傾いているな"程度に見えた家屋も、大雨のためか余震による衝撃の蓄積のためか、"うわぁ、もう倒れそうだよ"となっている場面も。
 我が家は高台にあるのですが、住宅会社の方は、解体のための重機が家に近づくときに「崩れた石垣が道を阻んでいて近寄れません。道を通してもらうか、小さな重機で少しずつ解体するかですね」とおっしゃる。
 公的なところに道を通して欲しいとお願いしたのですが、今だに崩れた石垣のところは片道に「通行止め」の立て看板が立っていますから。どっちにしても、解体遅れの事情はいろんなことが輻輳しての結果ですね。
 今年の地震の結果は年内にリセットして、新しい年には、新しい家で家族揃って迎えることになればいいなあ、とぼんやり思っていましたが、この様子で行けば、まだ完成までに二転三転ありそうです。今は、来年の節分は新しい家で「鬼は外、福は内」とやれることを願っています。
 震災の後の仕事量を振り返ると、よくあれだけこなしたものだと自分でも感心します。その勢いが、今、猛スピードで低下しつつあります。
 きっと、震災などのデザスター状況には人間を躁状態に持ち込む何かがあるのかもしれません。
"震災ハイ"というべきか。
 きっと脳内に天然の覚せい剤のようなものが分泌されていたのではないでしょうか。
 だから、震災直後は、さまざまな決断が震災ハイの状態でなされたのではありますまいか。
 半壊ながら、とても住めない我が家ですが、これを何とか修理して住もうではなくて、二階の傾きや、大黒柱に走った無数の亀裂を見て、もう新築しちゃう!と即断したのは、震災ハイの心理状態以外の何ものでもないでしょうなあ。
 建築工事契約書を交わして、今、眺めると、はあ!と溜息が出ます。
 昔からの言い伝えで、こんなのがあります。
 一日だけ幸福になりたいなら髪を切りなさい。
 一週間だけ幸福になりたいなら結婚しなさい。
 一年間幸福になりたいなら家を建てなさい。
 新しい家を建てても、幸福なのは一年ということですか。
 仕事を減らして、ぼちぼち余生を過ごそうか、と考えていたのですが、どうもそういう訳にはいかなくなったなあ。天はまだ、私をゆっくりさせてはくれないようです。まだまだ働かなくてはいけません。よろしくお願いします。
 あ、ちなみに、さっきの続き。
 一生幸せになりたかったら釣りを覚えなさい、と続くのでした。
 私は、山歩きとキノコ採りで十分幸せです。

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