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Column - 2016.08.01

第141回 まだまだ復興中!

 まだまだ、まともな生活が送れない日々が続いています。そして、皆さまの励まし、ありがとうございます。先ず、御礼を申し上げて、それから、ご報告も。
 このたび「怨讐星域」が、2016年度の星雲賞(日本長編部門)をいただくことができました。うれしいです。星雲賞はSFファンが選ぶ賞。批評家などではなくファンの皆さんに投票していただいた、支持された、ということが何よりうれしい。
 ありがとうございました。
 星雲賞は短編部門では何度かいただいているのですが、長編は初めて。うれしさひとしおであります。
 ふと思い出しました。
 実は1991年に熊本を台風19号が襲いました。ボウリングであればまさに、ストライクコース。しかも最大瞬間風速が50メートルを超えました。わが家は半壊。まるで、雨月物語の幽霊が出る廃屋のようになりました。忘れもしません。唖然としていた私のところに、「サラマンダー殲滅」で日本SF大賞が決まった旨の連絡が入ったのでした。
 そして、今年。熊本地震で半壊したわが家で受けた、星雲賞長編部門受賞の連絡。
 世の中には、不思議なバランスがあるのだろうかと思いました。天災に見舞われるたびに賞をいただくという、奇妙さ。
 偶然でしょうか?
 そう考えると、阿蘇山がカルデラ噴火して熊本市が溶岩に飲み込まれたら、私はノーベル文学賞をいただけるような気がしてなりません。
 ま、それが、ご報告でした。
 で、被災後の私にどんなことが起こったのかを記憶の糸を辿りつつ書いておこうと思います。
 いろんな義援の品をいただきました。当初、いちばんありがたかったのは、ペットボトルのミネラルウォーターでした。生活水も必要ですが、米を炊くにも、ラーメンを作るにも、とにかくペットボトルの水。何が必要ですかと尋ねられたときには「水を送ってください」とお願いしていましたね。
 で、渋滞に捕まらないように温泉に朝早くでかけたとき、体重計に乗ってびっくりしました。
 さぞや痩せたかな、と思ったら体重が増えていたのです。なぜ?その頃、やっとコンビニが営業を始めていたのですが、ほしい食料はすぐに売り切れてしまいます。やっと手に入ったもの、送っていただいたものを食べて空腹をしのいでいたのですが、わかりました。パックに入ったご飯。インスタントうどん。インスタントラーメン。炊き出しのお握り。
 みんな炭水化物じゃないか。炭水化物ばかり食べていたら、そりゃあ、肥るはずだよなあ、と納得。
 半壊のわが家を建て替えるのに、まずとにかく被災して使えなくなった家財を捨てねばなりません。屋根から落ちて割れた瓦、部屋中に散乱した土壁、壊れた家具や電化製品。それらを、とりあえず庭に出してゴミ捨て場へ運ぶ。ほんとうは熊本市には決まったゴミだし日があるのですが、この頃だけは被災ゴミならいつでもゴミ置き場においていいということになりました。
 それで、わが家のゴミをゴミ置き場に持ち込みます。で、日を追うごとにゴミ置き場は大変なことに。ゴミはどんどん増殖していきます。しかし、わが家界隈にはまったくゴミ収集車がやって来ない。ゴミ置き場は道路沿いですが、ゴミが溢れかえり、自動車が1台やっと通れるかどうかという道路事情に。そして、わが家の石塀沿いはゴミ置き場ではないのですが、どこかの誰かがそこにゴミを置いた途端に、ゴミで溢れかえってしまいました。つまり、わが家から四方八方がゴミだらけ。ゴミの量が多すぎて、処理場がパンク、処理施設そのものが被災と、踏んだり蹴ったり状態。途中にゴミは出すなという迷彩時期までありました。町内会長さんですかね、ボール紙に赤いフェルトペンで「ゴミ捨て禁止」と書いて掲示。誰も守らず「お願い。ゴミは出さないでください」と懇願の文面。それも効果なく「ゴミは出すな!」と怒りに変わる。悲痛さが伝わってきたのもです。
 今、考えれば、まるで嘘のように思えます。しかし、あの時点ではゴミは今年中に消えないのではないか。そんなイメージさえありました。
 避難所ぐらしをせずに済んだのが幸いといえば幸いです。その壮絶さは、友人から体験を聞かされてぞっとしたものです。それはそうでしょう。いろんな年齢の、いろんな立場の人がひとつ屋根の下で、最初は仕切りなく過ごしていたのですから。とんでもないストレスだったろうと思いますよ。私だったら耐え切れず、車上生活をしていただろうなあ。
 さあ、そんなことを言っても始まらない。役所に行き、罹災証明をとり、それから半壊のわが家の再建に入ります。このエッセイが読まれるのは、解体が始まった時期ですね。

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