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Column - 2016.06.01

第139回 エゴサーチは怖い!

さて、自分で小説を書いてみようと思ったのは、いつ頃からだろうと考えると、相当昔の事になります。
 半世紀前。
 こう書いてみると自分でも、ちょいビビリました。時の流れというのは速いものです。
 読書好きの子どもだったのは病弱だったため。ほとんど外で遊ぶ習慣がなかったので、布団の中で本ばかり読んで過ごしました。
 選り好みなしで小説を(もちろん児童書ですが)無差別絨毯爆撃状態で読んでいき、だんだんと自分の読書の傾向が定まった気がします。J・ヴェルヌやH・Gウェルズ、コナン・ドイルの小説の面白さに嵌まりましたね。やはり、傾向はSF寄りだったかなあ。「宇宙戦争」やら「失われた世界」「地底探検」などを狂ったように読みまくりました。このとき、自分が喜ぶジャンルは何か、わかったような気がします。小説以前に映画ゴジラ、手塚マンガが大好きでしたから、そちらの方面からも決まりでしょう。
 それから星新一さんの作品やSFマガジンを読むようになりました。
 その辺りからでしょうか。自分に妄想癖があることに気づいたのは。
 いや、最初は、本の中で描写される奇想に単純に驚いておりました。それまで読んだことがなかった大人向けSF短編小説に接するようになってからのこと。すると、あるとき、自分の内部にアイデアのようなものが。
......これ!小説になるんじゃないのか?というより、こんな話は、まだ誰も書いてないんじゃないか?
 そんな思い込みが生じました。
 そうすると、次の思考に移ったわけです。
......ひょっとして、この話は私が書かなければ誰も書かずじまいになるんじゃないの?
 自惚れもいい加減にしろ、というか、まさしくこれは中二病の典型的な症状だと思います。そんなことで、原稿用紙を買ってきて、次々と小説のようなものを書き始めました。長編にも挑戦しようとしましたが、なにぶん、持続力がなく飽きっぽいのですぐ中断!そんなら、短編で。
 短編やらショートショートやらを書きちらしていました。
 自分では、大傑作を書いたつもりでしたが数年後に読み返してみたとき、なんと酷いものを書いていたのかと愕然。それでも書き上げたときの私は「ふっ!また、大傑作を書いてしまった」と思っていたものです。アイデアは幼稚。地の文に熊本弁が混ざっていて、支離滅裂。もちろん、この原稿は消えてしまいました。恥のカタマリみたいなものですから。
 その後、『宇宙塵』という同人誌に入り、九州SFクラブの『てんたくるす』というSFファン誌に加わったり。結果的に『宇宙塵』に書いた「美亜へ贈る真珠」という短編がSFマガジンに転載されて、商業誌デビューできたわけですが、この作品を書いたときも私は、こう思っていたわけです。
......大傑作を書いてしまった。発表と同時に古典だな!と。
 ま、脳天気の極みです。これは、若い頃の私自身の思いあがりの成せる技ですね。
 しばらく休筆した後、またしても、傑作の予感がするアイデアを次々に思いつきました。そして毎夜、そして毎朝、数枚づつ書いていったのです。
 書きあげるたびに、......またしても、傑作を書いてしまった、と。
 そう思いこむのは、創作に携わる人なら誰にでもあることのようですね。その時代は、読者からの反応をすぐに知ることができるわけではなかったからでしょう。
 時が流れ、情報の革命が起こります。個人の意見がネットに発信される時代になりました。
 モノを書くなら、ネットでエゴサーチしない方がいいですよ。そんな意見を頂きました。
 エゴサーチ?なんですか?と問い返してみると、ネットで自分の名前や作品を検索してみることなのだそうな。なーるーほーどー。しかし、どうして、エゴサーチしないほうがいいんだろう?
 そう言われると、やってみたくなる。穴があれば、覗きたくなる。紐があれば、引っぱってみたくなる。
 ちら、と自分の名前で検索してみました。わ・わ・わ。出てくる。出てくる。なんと作品レビューみたいなものまで、いろんなユーザーが書き込んでいる。見ちゃいけないと言われたのを思い出しましたが、見てしまいます。褒めてある評は胸をなでおろしますが、そこまで書くか!という、けなした評もある。その頃の私には免疫がなかったから、硬直状態になりました。エゴサーチをやるなというアドバイスがよく理解できました。エゴサーチをやるのは、ゴルゴンに戦いを挑む兵士のようなものだな。見たら石になってしまう。
 あれほど自分で面白い!傑作だ!と思って書いているものが、人によってはゴミ以下の評価しかない、とは。しばらくはショックで書けなくなったほどです。
 どうやって自分の中で折り合いをつけたのやら。最近では、新作の読者の方の感想をリツイートできるほどには図太くなりましたよ。
 百人の読者がいれば、百通りの感受性があるよな、と思えるようになれたからかな。

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