Column - 2016.05.02
第138回 体験「平成28年熊本地震」!!
もう、改めて書くこともないでしょうが、私は熊本に住んでいるのです。で、4月14日から始まった「平成28年熊本地震」の被災地にいるわけです。皆さんから「大変ですね。いかがでした?」とご心配いただき、恐縮している次第です。このコラムを読まれる方も、そのときカジオはどうしていたんだ?!と思っておられるのではないかと、今回は、地震発生の様子などを。
最初の始まり。4月14日の午後9時過ぎ。
私は朝5時に起床し、花岡山を散歩する習慣があるので、午後10時には眠りにつきます。
それは、読書をしていて目が疲れてきたので、本を置いたときでした。
何が起こっているのだろう?全てが軋み、揺れているような。近くにあった携帯電話が緊張を煽るように「地震です!地震です!」と繰り返し始めて、やっとこの揺れが地震だとわかった次第。地震が起こってから警報がなるなんてこの役立たず!と一瞬思ったものの、あまりの凄まじさに頭は真っ白でした。飛び起きても体が動かない。何か倒れ、割れる音が。地鳴りのようでもあるし、家の軋む音のようでもある。災害マニュアルで地震の際は頑丈なものの下で身の安全を確保せよ!とありますが、とてもそんなこと咄嗟にできないとわかりました。
揺れが終わってもまだ足がふらついていました。家族全員の無事を確認して被害を調べました。台所では食器が割れて散乱し、座敷の壁は崩落していました。書庫の本棚は倒れるときに全ての本を吐き出していました。
テレビをつけると地震速報が。震源は熊本地方の益城。そして「震度7」と。耳を疑いましたよ。あれが震度7の揺れだったのか。
と呆れた瞬間、次の揺れが来ました。
「余震だ!」このときは震度6だったのです。
もう、家の中で安全な場所はないと思いました。「自動車に逃げるぞ」
その夜は暖かかったことが幸いでした。車中で緊張から開放されました。もう上から落ちてくるくるもののことを心配しないでいいんだ。明日は一刻も早く復旧作業だな、と。
翌朝は一日を地震処理にあてました。台所を片付け、割れた食器を袋に詰めます。本棚を起こしました。一日ですべての復旧ができたわけではありません。しかし、何とか寝泊まりするだけのスペースを確保しました。後の作業は明日に、と休みました。滅多にできる体験ではない。いい取材をさせてもらったと考えるべきかな、と思いつつ眠りの中へ。精も根も使い果たした気分でした。
それから数時間後。あの声と揺れに襲われました。午前1時25分。
前の地震よりヤバい。揺れが激しいし、時間も長い。家族全員、揺れがおさまったと同時に家を飛び出ました。
これこそが「平成28年熊本地震」の本震だったのです。
嘘だろう?もう地震は鎮まったんじゃなかったの?そんな筈はないよ。悪い夢かなあ。
外に出ると東の空が、地上から放たれた青くぼーっとした色に光っていたのです。いつもは見ることのない光景でした。今思えば、地震光というものだったのかもしれません。
車の中でエンジンをかけて暖をとりつつラジオをつけると、絶望的な情報が次々と伝えられてきました。
阿蘇大橋が崩壊しそうだ。
宇土庁舎が危険な状態にある。
情報の一つひとつが絶望的なものでした。このときツイッターや携帯電話は通じてました。と同時にSNSではデマも同時に流れました。熊本動物園からライオンが逃げ出した、写真付きで。どんな人たちでしょうね。こんなときデマを流す人たちって。
何度も突き上げてくる揺れに、現実感がなくなっていくのを感じました。これが現実ならば、もう熊本はおしまいかもしれないなあ、と思いました。
翌朝、日が昇り、変わり果てたわが家を見てしまいました。
昨日、あれだけ日がな片付けたのに。座敷の壁と老化は崩れ、石塀は倒れて、屋内は土埃だらけ。今回は屋根瓦までも。
三途の川の辺り、賽の河原で子どもが成仏するために必死で石を積み上げる。やっと、積み上がったと思うと、鬼がやってきて元の黙阿弥に壊してしまう。そんな目に合わされたような。
ぽっきり、心が折れ、それから片付けないままです。
かろうじて、電気は通じるようになりましたが、ガスなし、水なし。風呂もトイレも使えません。娘のところに身を寄せてます。
もう立ち上がれないかもしれない、と思いましたが、私のことを心配してたくさんの方から連絡をいただきました。小学校以来の幼なじみ。何年も会っていなかった友人。定年退職された昔の担当編集の方。遠方の作家の方。
ほんとうに勇気づけられました。
熊本を逃げ出さないの?と言う方もおられますが、ここは、私が生まれ育ち、一緒に泣き笑いした人たちがたくさんいる故郷です。
棄てるわけにはいきません。
「怨讐星域」という話の中で、滅びる地球に残る選択をした人々のことを描きましたが、あれと同じ心境です。熊本が大好きなのです。
励まされて、余震が続く中でも少しずつ勇気が蘇ってくるのを感じます。今は市電が走り始めたことを喜び、蛇口から流れる水に感動しています。熊本は滅びるわけじゃありません。
うちひしがれたのは私だけじゃない。皆と一緒にもう一度ガマだそう。そう思えるようになった自分のしたたかさを褒めたくなっているところです。なあに、カラ元気と作り笑いは、大の得意技ですから!