Column - 2016.01.04
第134回 お正月は花岡山へ
あけましておめでとうございます。一年が巡るのは、早いですねぇ。
お正月と言えば、まず私が連想するのは、まさに極私的なのですが、花岡山です。
花岡山というのは、私が住んでいる熊本市の里山です。ちょうど熊本駅西に位置する、仏舎利塔が山頂に見える高台といえばいいのかな。
子どもの頃から、何千回登ったことになるのだろう?今も、三月から十一月の間は、朝の五時から山頂まで散歩するという日課を続けています。(冬期の起きぬけ散歩は、早朝血圧だから体に良くないということで家族に禁止されています。十二月から2月までは昼前後ですね。)だから、とても愛着がある山なのです。あまりに愛着がありすぎて、私の小説の中でもたびたび登場させる程です。
『OKAGE』では、巨大津波から逃れるために登場人物が花岡山へ駆け登ります。『つばき時跳び』では、主人公が江戸末期からタイムスリップしてきた女性つばきと、山頂までの散歩を楽しみます。『消失刑』でも、犯罪を起こして消失刑を受けた主人公が彷徨って辿り着くのが、花岡山です。
山頂には、仏舎利塔やお寺があり、さまざまな石碑があります。散歩するときも、いろんな登山ルートの中から、そのときの気分でコースを選ぶのです。途中には官軍墓地がありますが、今は荒れ果てていますね。官軍墓地の横には西南戦争の時に薩軍が砲台を設置した場所があります。そこから熊本城を砲撃したそうですが、砲弾が熊本城まで届かなかった!という笑っていいのか間抜けなのか、びっくりなエピソードを知ることもできます。
昔、加藤清正は熊本城を築城した折に、石垣の石をこの花岡山の山頂から切り出して運んだんだそうです。当時は花岡山とはいわず、祇園山と呼ばれていたそうですが、山頂付近には加藤清正ゆかりの腰掛岩(兜岩)があります。これは清正が岩の切り出しを監督するときに腰掛けていたという岩ですが、加藤清正は直々に指揮を執っていたのかな?鐘掛け松の跡というのもあります。作業合図に清正が使っていた鐘を掛ける松の木があった場所だそうですが。山頂の西側には巨大な鳥居が立っています。これは清藤稲荷の鳥居で、この清藤大明神と緋衣大明神の兄弟伝説は、前にこのコラムで紹介したことがありますので、気になる方は、読んでみてください。
で、毎朝の日課で花岡山に散歩にでかけるのですが、最近、夜明け前に山頂までやってくる若者が増えてきた気がします。数人で日の出を待っている様子ですね。いろんなグループがいて、あまり素行が良さそうではないやんちゃな連中から、ちゃんと挨拶して静かに日の出を待つグループまで、いろいろです。なぜに、最近、若者が増えてきたのかな?日の出がきれいだから?とぼんやり考えていました。すると、あるカップルから挨拶され尋ねられました。「毎日、散歩するんですか?」「花岡山って心霊スポットなんでしょう?何か変わったことって今までありませんか?」
「ええっ!?」
以前にも書いたことがありますが、何か訳の分からない気配を感じたことが一度と、花岡山の散歩から帰ったら変な球体の発光を目撃したくらい。でも、そんなことをいう訳にはいかないな、と。「えっ?そんな噂があるのですか?心霊スポット?」
ネットで見たと仰言る。
帰ってチェックしたら......そうなんだ。映像までバンバン出てきて、花岡山は心霊スポット!行っちゃいけない、不気味な場所になっているではありませんか。
いわく、花岡山山頂へ彼氏とクルマで行こうとしたら、何度行っても吸い寄せられるみたいに巨大な赤い鳥居に着いてしまう、と。おまけに呪われたように頭痛まで始まった、と。
へぇー。そうだったのか?よほどの方向音痴の方だなあ。右折個所がわからず同じ場所で直進してしまったのですね。夜だからなあ。
それから山頂に女性の幽霊が出るという記述もありました。キリシタンの処刑された遺体が埋葬されているから、と。あ、写真を見たらこれは官軍墓地、薩軍砲台跡の横だぞ。私は昔から、夜開け前散歩で彷徨いてますが、一度も、怪異に出会ったことはありませんが。
しかし、花岡山が、私の知らないところでどんどん心霊スポットとして著名になっていったとは複雑な心境です。
今回は書きませんが、花岡山には、もっと面白いこともあるんですがね。
で、お正月になると、初日の出を拝むのは、この花岡山山頂で決まり。
いつもの夜明けであれば顔ぶれが決まった人数ですが、元旦の朝は、初日の出狙いで花岡山山頂は立錐の余地もなくなるのです。
さあ、今年の初日の出はいかがでしょう。(と書いている今は、まだ年の瀬なのです。晴れたらイイなあ)