Column - 2015.06.01
第127回 カトマンズの少女
ネパールには一度だけ行ったことがあります。インドに行ったついでなのですが、なかなか行ける場所ではない気がして。
四十人乗りくらいの小さな飛行機で行ったのですが、それはそれは凄絶な乗り物でした。窓際に座った私の横で、窓がパタパタと飛行中に鳴り始めました。こりゃ、窓が外れるんじゃないか、と怖くなりましたよ。昔から高所恐怖症に加えて飛行機が大嫌い。もう、窓パタだけで寿命に王手をかけられたような気に。堪らずCAのおばちゃんに、大丈夫かと訴えました。すると私に人差し指を向けて、「心配ない」という風に去って行きます。すぐに戻ってきてガムテープをベタベタと窓に貼り付けました。それから親指を突き出して「ノープロブレム」、と。
大丈夫かよ?と血の気が引いたまま思ったものです。それから五分も経たずに前方のお手洗いから水が流れ出し、通路を伝って私の横を抜けて後方へ。どうしたんだよ。
床を指さし不安な顔をすると、CAのおばちゃんが私を特に睨みつけながら、またしても「ノープロブレム」
近くの人が教えてくれました。「この航空会社は外国の旅客機の耐用年数が終わったものを購入して使っているから仕方ないんですよ」と。「それからCAのカーストの方が乗客のカーストより上だから彼女たちに従わなきゃならんのです。CAが偉いんです」
何のこっちゃ。通路は人糞の臭いです。
で、ネパールはカトマンズの安宿で過ごしたのですが、目玉焼きが黄身まで白いのに仰天しました。インドと同じでカレーばっかり食べて過ごしましたよ。標高は1,300メートルと高いけど、結構暖かかったですね。空港に到着する前に見えたヒマラヤの山々の荘厳さは忘れられません。
日数が取れなかったので、カトマンズの街の中を歩きまわって過ごしました。今度はトレッキングで来たいなぁ、と他の旅行者たちを羨ましく眺めたものです。
なぜ、そんなことを思い出したかというと、テレビでネパール大地震が現地中継されているのを目にしたからです。
倒壊した塔を見て絶句しました。何ですって?数千人の死者だって?
ダラハラの塔って言ったよね。塔の前は繁華街でした。一人で彷徨いたときの記憶。とにかく自転車やら三輪車やら人混みが凄かった。それにクラクションや叫び声、ブレーキ音とうるさかったなぁ。排気ガスもだけれど、人糞の臭いがたまらなかった。下水がちゃんとしていないのかな?と横を見ると、道の隅でお婆さんが人目も気にせず立ち糞していた。ダラハラの塔は確か百年ほど前に地震で倒壊したと聞いた記憶が。今回も倒壊したというのは、再建時にその時の教訓は活かされなかったのかな?
そして、あの近くにクマリという少女の生き神様が暮らす館があったことを思い出しました。今でも代々のクマリが暮らしていたはず。レンガ造りの建物だったから神様は大丈夫だったのだろうか?画面で見る限り瓦礫しか見えないけれど。
同時に、画面の中を無意識に探していました。ひょっとして...と。
実はあのとき大通りから路地に入ってみたのです。細い通りの向こうに小さな広場があって、中央に水呑場兼井戸がありました。
私は歩き疲れて、そこでひと休みしていると声をかけられました。
「日本の人ですか?」
もちろん日本語で。見ると十二、三歳の女の子がバケツを持って立っていました。痩せているけど目が大きくて将来美人になるだろうな...という少女です。
聞くと日本語を習っている、と、近くに日本人の女の人が住んでいて、教えてくれるのだと。だから日本語が流暢なのか。
日本が大好きだから、日本に行きたい、と。そして日本で医学を勉強して医者になりたいと、言っていました。日本語を教えてくれる日本人も日本の医学は素晴らしいと言ったようです。
この年齢で、自分がどの道に進むべきかを、しっかり見定めてその目標に向かって勉強していることを知り、素晴らしい子だなと、感激した次第です。
カトマンズは、もっと上手なお医者さんをたくさん必要としているから。そんなことも言っていました。
中継を見ながらその少女のことを思い出してしまいました。
私がネパールを旅行したのは、十数年前のこと。画面の中を無意識に探したのは、ひょっとして救急医療チームのメンバーに、成長したあの少女がいるのではないか?そんな気がしてならなかったからです。いや、そうあって欲しい、と。
ネパールの被災地の、一日も早い復興を心から祈念します。