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Column - 2015.05.01

第126回 『怨讐星域』が出るよ

 5月下旬なのですが、新刊が出ます。
 延べ9年かけてSFマガジンに連載した「怨讐星域」というシリーズで2千枚ほどになり、とても1冊には収まりきれないので3冊に分冊されることに。ただ今、著者校正の真っ最中なのですが、宣伝を兼ねて今月はこの話題でいってみようかと思った次第です。
 連載のお話を頂いたときに、世代を超えて憎みあう人々のことが、ふと頭をよぎりました。民族や宗教、領土のことで長くいがみ合うという歴史を、いくつも知っています。それらを題材にした文学や映画にいくつも触れてきました。果たして私たちには、民族としての生まれながら埋め込まれた恨みというものを拭い去ることはできないなのか、という疑問が浮かんできたのです。
 さて、現実の世界情勢の中でも、そのような例はたくさん見聞きしています。もし思考実験としてのSFという枠組みの中でこの素材を扱えば、どうなるのだろう。
 どのような形で展開するか、それからいろいろと検討しました。
 祖先が憎しみの原因を作り、その恨みが世代を超えるという年代記のようなものができないだろうか?
 現在の世界で見られる民族・宗教に関わる怨嗟とは全く異なる設定を考えてみることにしました。現実社会と離れることによって、少しでも生々しさを薄めるほうが、思考実験に没頭できるからです。
 基本設定を頭に入れておかれると、読み進める上で便利かと思いますので、簡単にご紹介しておこうかと思います。
 その時代、異常気象が連続するのですが、これは太陽のフレア化の予兆でした。どのようなことかというと、太陽系内のすべての天体は太陽の異常燃焼により数年後に燃え尽きてしまうと予測されたのです。それは地球滅亡、人類滅亡を意味していました。
 しかし、その時代の米国大統領は財閥の協力を得て、秘密裏に選民たちとともに世代宇宙船ノアズ・アーク号で地球から脱出します。
 残された人類は、自分たちを置き去りにしたノアズ・アーク号の人々を悪魔の一族として激しく恨むのですが、ここで奇跡的な出来事が起こります。
 残された人類は、転移装置を発明するのです。転移装置とは、一瞬にして物質をジャンプする装置です。どんな遠距離であろうと関係なく。
 さて、その頃、大多数の人類を見捨てて去った世代宇宙船ノアズ・アーク号の目的地が、170光年先の惑星であることが判明します。その惑星は分析の結果、地球に似た環境の星だったのです。
 地球にとどまっても滅亡を待つばかりの人々は、何の生存の保証もない遥か彼方、170光年先の惑星に転送を試みました。
 その結果、ほんの一掴みの人々が転送に成功。しかし、地球での技術は全てゼロの状態なので、未知の環境下で原始人同様の生活をスタートさせることになるのです。
 地球とその惑星の距離は170光年離れていますから、宇宙船が辿り着くまでに数百年が必要です。その間に転送装置でたどり着いた人々の末裔は、遥か未来にこの惑星に辿り着くことになる地球からの宇宙船の人々への恨みを語り継いでいきます。そして、何世代も後に宇宙船が現れたときに何が起きるか......という連作群というわけです。
 そんな恨みが集中する空間なので、タイトルは「怨讐星域」としました。字面を眺めていると、かなり重いかな、という気分になるのですが、これくらいやらないと深い恨みが伝わってこないと信じて決めました。
 全31話に渡る年代記の本作ですが、以上の基本設定を頭の隅においておかれるとよろしいかと思います。一話ごとにノアズ・アーク号の内部だったり、文明を発展させていく未知惑星の話だったりするので、連作集というよりは短篇集に近いのではないか、という気もしています。
 共通しているのは、各時代のそれぞれのエピソードの語り手となる人物たちが、その時代の状況ならではの心のもやもやを抱えているのだということ。
 だからサイエンスの物語というよりも、人間の物語になっているのかな、とも思います。そして、書き上げて思うのですが、この結末は正しいのだろうか、という反省があります。物語が終焉を迎える以上、何らかの物語としての着地点を示す必要がありました。私なりの結末は記しているのですが、この結末で読まれた方が納得されるかどうか。あり得ねえーなのか、カジオらしい、なのか。
 首を洗いながら校正作業を続けています。
 どうぞよろしくお願いします。(了)
『怨讐星域/ノアズ・アーク』『怨讐星域/ニューエデン』『怨讐星域/約束の地』(ハヤカワ文庫5月下旬発売)

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