Column - 2015.01.05
第122回 お年玉のことなど
謹んで、新年のお慶びを申し上げます。
本年も、どうぞよろしくお願いします。
正月なので、年の初めにふさわしい縁起の良いことを書きたいのですが、アベノミックスの効果も感じられないままに年を越してしまいましたので、景気のいいニタニタできるような話も思いつきません。
で、遠い昔、お正月というと何が楽しみだったろうか、と考えてみると、具体的にハッピーな思い出もないんですよね。女性だったら「きれいな服を着せてもらった」とか「羽子板をやった」という答えになるのでしょうか。男の子だったら凧揚げをしたとか、独楽回しをやったとかはないのか!と思われるかもしれませんが、病弱だったし、食べ物もすぐ腹を壊すからと制限されていたし。
そうだなあ、唯一、楽しかったのは、お年玉を貰えたことかなあ。それまでは、欲しいものは買ってもらっていたから"お金"が何のためにあるかがわかりませんでした。お年玉で初めて"お金"の存在理由を学ぶことになったのです。袋の中には紙幣が入っていて、それで自分の欲しいものが買える。しかし、欲しくてもお金が不足していれば買えない。欲しいものを手に入れたければ、たくさんのお年玉が必要である。そんな学習。そして、これは目上から目下に贈る年一回の行事である。きれいな袋に入っていますが、これをポチ袋と呼びます。なぜポチ袋と呼ぶかというと「これっポチしか入っていなくて申し訳ないけれど」というところから来たポチ袋なのだということも知ったなあ。
と言って、お金を貯めて何を買いたいというところまでは考えが及びません。しかし、お金の合計金額を確認するのは楽しかった。
それから、中学に入り、お年玉で本を買い込み、コレクション化する日々。友人の中にも、それぞれの道を極めようとする者たちをたくさん見るようになったなあ。そんな連中がコレクターになっていったのだと思います。切手だったり、プラモデルだったり、映画関係資料だったり、コミック類だったり。いずれも、コレクターから進化を続け、あの頃はまだそんな言葉もなかった"おたく"に変貌して行ったのです。
ふと思ったことがあるのですが、それぞれモノに対して執着するから"おたく"と呼ばれるのだから、私がお年玉を収集する時点で、モノに執着せず、お金に執着していたら。"お金おたく"という存在になっていたのでは?"お金持ち"というのは、"お金コレクター"ではないでしょうか。
お金を使う楽しみではなく、ひたすら、お金をコレクションする楽しみだけを求めて。
これこそ、お金おたくの王道ではありますまいか。
本当のお金持ちは、お金持ちには見えない、ということをよく聞きますが、これは他のモノを収集している人たちにも共通している気がします。お金も収集品で、お金を運用するより、お金をコレクションしていることが、お金おたくは楽しくなっている筈です。そんな方は、収集したコレクションを残高確認で満足感を得ることが生きがいなのでしょうねぇ。
「今、どんな本が売れるのか」と出版関係の方に聞いたことがあるのですが、お金のことを書いた本が売れる傾向にあるということでした。
どうやったらお金が集まってくるか?とか、お金持ちになる人の心の持ち方、とかいったものが評判ということでした。お金のことを口に出すのは賎しいと考えている人がいますが、そういう方でもお金のノウハウ本は買っているんですよ、と。
そうか。子供の頃、お年玉でお金コレクターになりかけたのは、まんざら間違いではなかったのか。方向がずれて、本とコミックのコレクターになってしまっただけで。
あのとき、お年玉を親が取り上げていなければ、立派なお金おたくになっていたかもしれません。それが良いか悪いかは別にして。
今年、皆さんが、お金をたくさんコレクションできますように。......と書いて閉めようと思いましたが、やはりエゲツない気もします。