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Column - 2025.06.01

第248回 ごめん警察

雨あがりの日のことだった。
道を歩いていた。知らずにうっかり水溜りに足を入れてしまった。
びちゃ!
そんな音がして、ほぼ同時に「うわっ!」と声がする。あわてて顔を上げるとスーツの男がそこに立っていた。
私が水を跳ね飛ばして服にかけてしまったのだ。スーツは泥水だらけ。おまけにワイシャツまで泥汚れで汚らしくなってしまっていた。男は、怒りの表情で肩をいからせて私を睨んでいた。
「ごめんなさい。服の洗濯代を出します。どうか、許してください」
スーツの男は、怒りがおさまらない様子だった。今にも握った拳を私の顔面に炸裂させたいようだ。
「このスーツを着て、今日、就職のための面接を受けにいくところだったんだ。おかげですべての予定が狂ってしまった。あんたのせいだぞ。あやまって済むと思うな。ごめんで済むなら、警察はいらないんだ!」
なるほど、大変な怒り狂いようだ。ひたすら私は、謝るしかない。「ごめんなさい。ごめんなさい」しかし、怒りは鎮まらず許してくれる気配がない。
そのときだった。紺色の制服を着た男が現れ、私とスーツの男の間に割ってはいった。
「なんだお前は!」とスーツの男。「お前は関係ないだろ!」
すると制服の男が言った。
「私は、ごめん警察のものです」
「ごめん警察ぅ??」
「はい。世の中には、無数のトラブルが溢れています。そのトラブルは、あやまって済むものもあれば、警察沙汰にしなければならないものがあります。そして、どちらにもつかないトラブルがあります。いわゆる“ごめんで済むなら警察はいらない”と言われているトラブルです。これが実は一番多い。そこで誕生したのが“ごめん警察”です。私は、その“ごめん警察”として世の中の中途半端なトラブルの解釈に日々、取組んでいるものです。」
「どうしてここに現れたのですか?」
「はい、私の聴力は特殊な訓練を受けた結果“ごめんで済むなら警察はいらない”という声を聞くと、筋肉が反応する身体になっているのです。だから今も、ここで“ごめんで済むなら警察はいらない”の声が聞こえてきたので、早速に参上したのです。
そう言った“ごめん警察”は、えへんと咳ばらいして胸を張ってみせた。一見したところ頼もしそうにも見えるが、聞いたこともなかったし胡散臭そうな人にも見える。しかし、このごめん警察に今のところは頼るしかないようだ。このごめん警察に果たしてトラブルが終息できるものだろうか。とりあえず私は、トラブルの原因を順序だてて話した。スーツの男も耳をそばだて、自分がこれから面接に行く大切な場面だったことを主張した。
ごめん警察は即座に行動を起こした。何処かに特殊な通信機を使って連絡をとる。すると数分後にドローンが飛んできて何かの包みを落すと、飛び去ってしまった。
包みをごめん警察がスーツの男に渡す。
開くとスーツの男は思わず歓声を漏らした。
中から出てきたのは新品のスーツとワイシャツ。しかも着ているスーツよりお洒落だし高価そうだ。ごめん警察はスーツの男たちに言う。
「さあ、このスーツに着替えて、すぐに面接に行くのです。こちらの方は誠心誠意謝っておられる。新品のスーツであれば何も文句はない筈です。いかがですか?」
「もちろんです。これで何も文句も問題もありません」
そう言って新しいスーツに着替えた男は、そそくさと笑顔で立ち去っていった。
ほっとした私はへなへなと全身から力が抜けそうになった。ごめん警察のおかげで、私はやっとトラブルから解放された。
しかし、“ごめんで済むなら警察はいらない”と言っていた警察が実在したとは。「もちろんスーツ費用はあなたの口座から引落しですが」私は感激していた。どれだけお礼を言っても足りないほどだ。「それで済むのなら!」
すると、ごめん警察の男が私に言った。
「あなたは本当に真面目な人のようですね」
「はい。こんなごめん警察のような素晴らしい仕事が存在するとは知りませんでした。驚きました」
「そうですか。この仕事が生まれて、まだ新しいのです。ですから、まだ、人手が足りません。私ももっとやるべき仕事があるのですが。それが悩みです。どうですか?せっかくの機会です。あなたも、“ごめん警察”になりませんか?」
それは願ってもない話だ。そんな世のため人のための仕事につけるとは。
「なんと素晴らしい話でしょう。ありがとうございます。ぜひその仕事やらせて下さい」
こうして、私は“ごめん警察”になった。世の中にトラブルの種は尽きまじ。おかげで私の仕事は大忙しだ。方々で“ごめんで済むなら警察はいらない”の声が聞こえてくる。すると私は駆けつける。おたがいの誤解があったり、約束を守れなかったり、恋愛観の違いがあったり。まさに様々だ。そのひとつひとつを地味ながらも丁寧に解決していく。そして感謝されると仕事にやり甲斐を感じる。
ふと、“ごめん警察”の先輩のことを思いだした。手が足りないと言っていた先輩はどうしていることだろう。しかし、まさかすぐにテレビの画面で見かけることになろうとは。
戦闘状態にあったA国とB国が停戦交渉に入った。そして、二国の首脳の間に笑顔でいる人は彼だ!!
“ごめんで済むなら軍隊”を今はやっているのか。

 

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