Column - 2025.08.01
第250回 日本むかし話の真実
定年になった。六十五歳。
これまでの仕事はやめなければならない。退職金は微々たるものだった。これでは身にもしものことがあったら生きていけない。年金生活者として暮らしていくしかないのか。貰える年金いくらだ?額を聞いて驚いた。とても生活していける額ではない。いや、生きていくことさえ難しい。これまで、あんなに幾重にも税金を納めてきたというのに。
やはり、これからも働かなくてはまともに過ごしていけない。しかし、仕事はあるのだろうか?
ハローワークへ行き、仕事を探す。だが、いい仕事には巡り会えない。賃金も安い。紹介される仕事に溜息ばかり出た。ハローワーク職員が言った。「紹介できるのは、これくらいですね。面白くて条件のいい仕事ってありませんよ。あなたの年齢なら、シルバー人材センターを利用しては、どうですか?」
そうなのか。確かに身体も方々ガタがきている。若い頃のように思いきり動きまわれる自信はない。鏡を見ると、立派なおじさんではないか。
とぼとぼとハローワークを出て歩き始めると見知らぬ男から声をかけられた。
「ちょっとお待ちください。お仕事を探しに来られたのですか?決まりましたか?」
「いえ。まだ決まりません」とつらそうな声を漏らした。すると男は、よかった!というように胸を撫で下した。腹が立つ。人の不幸で何がそんなに嬉しいんだ。男はそれから言った。
「日本むかし話のおじいさんが人手不足なんですよ。私は民話人材スカウトマンですが」
「それって人材派遣会社みたいなものですか?」
「はい。条件はこんな感じで」
給与もいい。勤務地も近くのようだ。「ありがたいお話です。私でいいのですか?」
「はい。誰でもいいという訳ではありません。見たところ、あなたのようにこれはぴったりの日本むかし話のおじいさんはおられません。勤務もこの近くですから」
「で、どんな仕事なのでしょう」
「はい。近くに『日本むかし話普及センター』があります。この施設の中は異次元で、むかし話の世界になっています。子供達が日本むかし話を読むと実は想像の世界でこの施設の中とつながるのです。子供達が成長していくために欠かせない施設です。そして、むかし話で一番登場数が多いのがおじいさんです。その世界でおじいさんをやって頂けないでしょうか?」
それは楽しそうな仕事だ。
しかし、異なる次元につながっているとは。
「やりましょう」
出勤すると、早速、仕事だ。むかし話の知識はあるから、「適当に言ってくださって大丈夫です」と。
おじいさんの着物は想像どおりの昔のものだ。最初の仕事は桃太郎のおじいさんだ。山にシバカリに行って帰ると、川に洗濯に行っていたおばあさん役が大きな桃を持ってきた。そして私を見て呆れて言った。「山に何しに行ってきたのですか?」私は方々山を歩いて集めた芝を見せた。「山に芝がなくて、これだけ集めるの大変だったのですよ」おばあさんは首を振った。「シバカリとは、柴刈りです。芝刈りではありません」
カマドの燃料となる小枝のことなのか。
「もっと常識あるおじいさんだと思ったのに」
スカウトマンが、手招きした。「じゃあ、こちらはいいですから、カチカチ山の方へ行ってください」
「わかりました」
次の場面ならわかる。ウサギが悪いタヌキを懲らしめる。私は、おばあさんをタヌキに殺されたおじいさんの役をやればいいのか。これなら間違いようがない。野良仕事から帰っておばあさんがタヌキに殺されたことを知るという場面だった。家の中に入る。するとおばあさんが「タヌキ汁できてますよ」とすすめてくる。その汁を食べる場面だった。
知っている。この汁は、殺したおばあさんで作った婆汁なのだ。食べるとタヌキが出てきて「じいさん、ばばあ食べた」とはやし立てるのだ。これを食べなければ、むかし話進まない。どうしよう。持った箸が止まってしまった。この汁の中は、おばあさんだ。食える筈がない。どうしよう。するとスカウトした人がまたしても現れた。「なにをもたもたしてるんです。食べなきゃ、話が進まないではありませんか?」「食べれません。人肉でしょう」と私は言うと、スカウトマンは溜息をついた。「やはり、無理ですか。では、かぐや姫のおじいさんをお願いします。竹の中からかぐや姫を見つけるところからですが」
それなら簡単だ。光り輝く竹を見つけて、おじいさんが竹を切ると、かぐや姫をその中で発見するのだ。確かに輝く竹があった。駆寄り竹を切ると、中に女の子が。その女の子を抱き上げる。何と美しいのだろう?これが、かぐや姫か!するとかぐや姫が尋ねた。
「はじめまして。おじいさん。私の名前をつけてください」もちろん、かぐや姫と言おうとして口籠ってしまった。何故、かぐや姫という名なのか?必然性がない。家具がまわりにあるというわけでもなし。名付けるには必然性が要るぞ。
何故かぐや姫だ?えーと。えーと。
またしてもスカウトマンが現れた。
「かぐやというのは、光り輝く!という意味なんですよえ。これも役がつとまりませんか」「すみません。じゃあクビですか?」
「うーん。人手不足ですからねぇ。じゃあ、悪いおじいさんをやってみますか?善人の顔で実は悪人という憾みもでていいかもしれない」
クビは免れたものの、内心は複雑な思いだ。
これでは日本むかし話ではなく、日本むずかし話と言った方が正確ではないか。
