Columnカジシンエッセイ

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Column - 2020.07.01

第188回 やみつき

 夫が私以外のことに熱中するタイプだとは結婚前には思わなかった。しかし思い違いだったかもしれない。あれほど熱心に私にプロポーズした彼が給料を入れてくれなくなった。突然に。暴力を奮ったりはしないのだが。家計が苦しいと頼むと「わかっているよ。でも、どうしても欲しいものがあるから」と答える。ギャンブルをやっているわけでもないようだ。家に遅く帰ってくるわけでもない。
 なぜ給与を入れてくれなくなったのかが、ある日突然わかる。ネット通販の会社から夫に包みが届くようになったからだ。二つ三つではない。いくつもの包みだ。
 夫には悪いと思ったが包みを開けてみた。
 中から出てきたのはアニメの美少女キャラの人形だった。それだけではない。動画サイトで唄っている緑色の髪のヴァーチャル美少女の人形もある。価格もわかった。どれもこれも安いものではない。こんなに買い込めば給与を家計に入れる余裕がなくなるのも当然だろう。
 いわゆる美少女アニメフィギュアというやつだ。笑顔だったり、すまし顔だったり。セーラー服のスカートがめくれていたり、水着だったり。
 ヘナヘナと腰から力が抜け、へたり込んだほどだ。
 帰ってきた夫に問うた。「お金はあんな人形を買うために足りなくなったの?」すると悪びれもせず、夫は答える。
「そうだよ。包みを開けたのか?」
「あんな人形を集めて、どうするの?」
「だって、あんなに可愛いものはないよ。わかるだろう。もっと素敵なフィギュアも届くよ」夫の顔は嬉しそうに笑み崩れた。
 街を歩いていると呼び止められた。道端の占いの老婆だった。「ちょっと。あんた。どうしたんだい。不安な気配を漂わせて。何か怪しいことがあったね!」
 ずばりと言い当てられ、老婆にことの経過を包み隠さず話したのだった。
 最初は平凡な夫だったのだが、ある日を境に美少女フィギュアに金を注ぎ込み家に1円も入れなくなったこと。
 占いの老婆は何度もうなずいた。「ご主人の名前を書いてくれんかね」
「どうしたのですか?」「いや、ちょっと」
 名前をメモ用紙に書いた。それを老婆に見せると。
「やはりそうか!」「どうしたのです?」
 老婆はじっと私の目を凝視して言う。
「ただごとではないと思ったが、やはりそうか。主人はやみつきだ。」「やみつきですか」「いろんなものに依存する状態のことを、やみつき、と言う。“やみ”は“闇”とも”病み”、とも書く。“やみ”にもいろんなものがあるが、“やみ”が憑くと、激しい依存状態になってまともな生き方ができんようになる。これを治す方法は一つだけ。“やみ”を祓うんだよ」
「やみつき……いったい夫に憑いている“やみ”ってどんなのですか?」
「見たら、とてもまともではおられん邪悪な姿だよ。“やみ”は憑いている身体を離れるときに見えることがある。セーラー服の正体がわかるのはそのときだけだ。とにかく、ご主人を私のところへ連れてくることだ。激しい戦いになるかもしれん。どんな“やみ”かもわからん。しかし、避けられんことじゃ。連れてこれるかの!」
 できます!と言うしかなかった。フィギュアが手に入るお祓いをしてくれるところがあるからと夫を言いくるめて、老婆のところへ連れてきた。
「お願いします」「では、“やみ”を祓いますぞ」占いの老婆が、夫の前で奇妙な飾りのついた棒をかざし、振る。すると夫の身体のまわりを霧状のものがもやもやと噴き出して実体化する。「ご主人に憑いた“やみ”じゃあ」なるほどフィギュアの少女が凶々しい姿で呻きながら、夫の身体から苦しんで出ていく。これが“やみ”だったのか。これが夫を……。それも一体ではない。何体ものフィギュア姿の“やみ”が逃げていく。だが、逃げる“やみ”の顔は、以前どこかで見たような。すべての“やみ”が去り、夫は気が抜けた表情で立っていた。これで夫は正常に。
 しかし気になる。どこかで見たような“やみ”の顔。あの顔は誰……?
「“やみ”は全部追い出した。これでご主人は安心だ。しかし、“やみ”の顔が、皆奥さんそっくりとは。よほど苦しんでご主人はご主人は奥さんを慕っておるんだの」
「えっ?“やみ”が私の顔ですって。なぜ?」
 すると、老婆は再び夫に向きなおる。
「まだだ。もう一体、憑きものがご主人に残っておる。これを祓わねば」
「お願いします」
 またしても老婆は奇妙な棒を振り、夫に「退散!退散!」と叫んだ。すると夫の身体からずんぐりとした岩のような物体が滲み出してきた。この物体にも顔がある。
 今度は私にもすぐわかる。これも私の顔だった。これは……。
「すべての“やみ”が奥さんそっくりだった理由ですよ。これが憑いていたからだ」
「なんですか?この私そっくりの顔の憑きものは」
 すると老婆は大きく頷いて言った。
「奥さんそっくりの顔は、当然。ご主人にはこの“もの”が憑いておったから。だからご主人が執着するのは奥さんそっくりのものというわけ」「なんです。このあやかしは」
「これは、もの憑き!というんじゃ」
 私が大好きという夫は、“やみ憑”以前にものずき……いやあ“もの憑き”だったというわけか……。

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