News - 2020.09.01
第190回 運命の朝
ぼくは平凡な高校生だ。
父親の転勤で新しい高校に行かなくてはならない。新しい住まいから眠い目をこすりながら登校だ。どんな高校だろう。少し不安だ。
家を出て学校へ続く曲がり角の手前でニャアと鳴き声がする。見ると生後まもない仔猫がこちらを見ている。ぼくは仔猫を手招きしたが、用心したようで隣の塀の中に逃げこんでしまった。仕方ないので立ち去ろうとすると、曲がり角の道から女子高生が飛び出してきた。その娘は口にパンを咥えて「遅刻!遅刻!」と叫んでいた。よく見えなかったが美少女だったかもしれないな、と思う。すんでのところでぶつかるところだった。
腕時計を見たら、女子高生が言っていたとおりだ。ぼくも遅刻するかもしれない。急がなくては。すると、目の前に突然、白い着物姿の小さな老婆が現れた。「たわけものめが!」
なぜ老婆に怒られねばならないのかかよくわからない。「どうして怒るんです。あなたは誰ですか?」「わしは運命の女神だがや。お前は運命を勝手に狂わせたから、出てきたんだが」運命の女神……きれいな若い女性じゃないのか。こんな婆さんが。「お前はその曲がり角で遅刻しそうな女子高生とぶつかる運命だったのだ。そして罵りあいつつ別れるも後に再会を果たし、ラブラブになる。その予定をぶち壊しおって、どうするつもりだ。たいへんなことだぞ」
どうもよくわからないが、ぼくはたいへんなことをしでかしてしまったらしい。運命の女神が言うのだから。運命に逆らってしまったということか。
「どうするつもりだ、って。もう過ぎたことじゃないですか。どうしようもないですよ」
ところが運命の婆さん…いや女神はぼくを睨むと真剣な表情で言い放った。
「いや、ある。最後のチャンスだ。時を巻き戻して運命をやり直す。やらん、とは言わせんぞ」
ぼくが返事をしようとすると、運命の婆さんが消えた。いや、玄関の前だ。後ろで「いってらっしゃい」と母の声。時間がさかのぼってる。学校へ続く曲がり角を歩いている。そうだ、これからぼくは曲がり角で、パンを咥えた女子高生とぶつからなければならないのだ。
それが女神の言うぼくの運命なのだから。
ニャアと鳴き声がした。それを無視して歩き続ける。仔猫で時間を取られたのだから。
もうすぐだ。その角を過ぎたところで、ぼくはパンを咥えた美人女子高生とぶつかることになるのだ。
「うわっ」そのときぼくは足を滑らせ尻餅をついてしまった。バナナの皮を踏んだのだ。
そして、ぼくの目の前をパンを咥えた女子高生が「遅刻!遅刻!」と叫びながら走り去っていく。
しまった。今度も間に合わなかった。
「この間抜け!役立たず!」と声がする。ぼくの目の前に、あの運命の女神が顔をしかめて怒っていた。「お前は本当にあほうだな。せっかくリベンジさせたのに」
「いいですよ。あの子と友達になれないくらい、ぼくにはなんでもありませんから」
「しかし、お前とあの娘がぶつからないというのは運命に逆らうことになる。それでいいと思うのか!」とすごい迫力で攻め立ててくる。ぼくもなんだか悪い気がして「もう一回チャンスがあれば、うまくやれる気がします」といってしまった。すると運命の女神は「本当だな?よし、最後の一回やりなおしチャンスが残っている」
そう呟いて運命の女神は消えてしまった。と、同時に、ぼくはまたしても玄関を出たところに。時間が巻き戻されている。
今度はうまくやれる。あの女子高生と曲がり角でぶつかるんだ。
猫の鳴き声がしたが無視して歩き続ける。バナナの皮が落ちている。これも避ける。完璧だ。もう曲がり角まで1メートル。
べチョリ。鼻に何かがかかる。臭い。手で拭くと何かの糞だ。頭上をカラスがカァと飛んでゆく。
あいつだ!
思わず足を止めたときだった。目の前をパンを咥えた女子高生が「遅刻!遅刻!」と叫んで走り去っていった。
間に合わなかった。
「三度も運命に逆らうとは」呆れと絶望の入り交ざった表情で運命の女神が現れた。「何とも救いようのない男だ」そういわれてぼくはムッとした。「どれも思わぬ出来事に邪魔されたんですよ。不可抗力ではありませんか。もしやぼくは女子高生とぶつからない運命なのでは?」運命の女神はまたしても怒り狂った。「ぶつかるのが運命じゃ。だから二度もリトライさせたのだ。もうやり直せん。すべてお前のせいだからな」「女子高生とぶつからなかったことくらいで、なぜそんなに怒るんです?」
消えてしまった運命の女神は答えてはくれない。だから何だと言うんだ。ぼくには何も責任はない。
凄いスピードで坂の下にむかって走っていた女子高生が、外国人の男にぶつかったという話を学校で聞いた。転げたトランクから奇妙な機械が現れたとのことだ。その機械が赤く点滅を始めて、大慌てで外国人は逃げ去ったと。それは、ぼくには何にも関係ないことだ。午後から世界中でミサイル戦争が起こったことを知った。何が理由かはわからないが、もちろん、ぼくには関係ない。
ぼくにとって一番大事なのは、新しい学校に早く慣れることではないか。