News - 2019.03.01
第172回 本当は怖い桃の節句
2LDKの賃貸マンションに住んでいるから家族三人で暮らすための家具は最小限だ。だから娘のために桃の節句の雛人形を買って飾るなんて問題外だった。娘が幼い頃は良かった。そんな雛人形なんか家庭では話題にも出なかったから。しかし娘のミクが幼稚園に通うようになってからのこと。
「うちには、おひなさまはないの?」と言い出した。娘の幼稚園のお友だちは、皆、わが家に雛人形が飾られているらしい。折り紙や絵に描いたお雛さまではだめなのか、と尋ねるが、娘は納得しないようだ。お友だちの家のお座敷に飾られていた雛飾りが強烈に心に焼き付けられたらしい。
「お内裏さまがいてね。その下に三人官女がいるの。その下が五人囃子......。凄いのよ」飾るスペースどころか、買う余裕もない。どうするべきなのかなあ。
「ミクは雛人形の意味を知ってるかい?」
「ううん。よく知らないけれど、お祭りで飾るんでしょ?」
「そう、しかし、本当の意味を知っておいたほうがいい。それを話しておこう。あの一番上の男は誰か知っているかい?」
「お雛さまのご主人でしょ」
「ところが違うんだ。あれは不思議な力を持っている。で、親の言うことを聞かない悪い女の子がいる家では雛人形を買うんだ。で、その女の子は誰もいないときに、五人囃子の人形たちに捕まってお雛さまの人形の中に閉じ込められてしまうんだよ。だから、お内裏さまは、捕まえた女の子が雛人形から逃げ出さないように見張っているんだ。いったん閉じ込められた女の子は不思議な力で決して逃げ出せないからね」
「五人囃子はどうやって女の子を捕まえて人形に閉じ込めるの?」
「それぞれ手に楽器みたいな持っているだろう。あれは楽器なんかじゃない。悪い女の子をお雛さまに変えてしまうための秘密の道具なんだ。動けなくして、小さく縮めて、声を出せなくして、閉じ込めてしまう」
ミクは一瞬震えたように見えた。
「三人官女は助けてくれないの?」
「なんのために三人官女がいると思う?真夜中に人の気配がなくなったら三人官女たちは悪い女の子がいかに罪深かったかと責め立ててくるのさ。よってたかってね。何と可哀想なことだと思わないか?」
ミクは、すでに泣きそうな顔でいる。
「だから、一年に一度くらいは人形にされた悪い女の子を箱から出して飾ってやるんだよ。年中、暗いところだと可哀想だろう。でも、昼間は黙って静かにしているけれど、夜になって家の人々が寝静まると、三人官女はお雛さまを罵り、五人囃子はいたぶり、お内裏さまはそれをせせら笑って見ているいるというぞ」
ミクは首を振り、泣きながら顔を伏せていた。
「これでも雛人形は欲しいかい。いつまでもミクがいい子でいれば、大丈夫だけれど。でも、悪い子と思われたら、五人囃子が夜中にミクに飛びかかってきて......」
きゃあ、と悲鳴をあげて娘は泣き出した。
「それでも、雛人形ほしい?」と尋ねると、ミクは激しく首を横に振った。
そこへ妻が帰ってきて、部屋の隅に置かれていた荷物を出してきた。
「おい、おい。これはいったい何だよ」
「さあ知らない。義母さんからミク宛に今日届いた荷物なの」
「へぇ。ミク、開けてごらん」
皆で開けてみると中は人形のようなものが二体入っている。まさか。きゃっとミクが悲鳴をあげた。入っていたのは、雛人形のセットだった。男雛と女雛だけの簡易版のようだ。母のミクへのプレゼントだ。気持ちはありがたいが、なんとタイミングの悪いときに贈ってくれたものだろう。
それが何の人形か、薄々ミクにもわかったようだ。「私、これは、いらない。怖いし、人形になりたくないもの」
これまでの経過を知らない妻が娘に言った。
「せっかくおばあちゃんがミクに贈ってくれたのよ。おや、説明書がある。最新ハイテク雛人形セットだって。スイッチを入れてみようか。どんなのかしら?」
雛人形を置く。何だか私のほうが嫌な予感がする。妻は驚いていた。雛人形がすっくと立ち上がったのだ。「これAI内蔵雛だって。義母さんとの会話を学習して、このお雛さまはお義母さんそっくりの性格になっているみたいよ」
お雛さまは、すたすたと私に歩み寄ってきて言った。
「こら。お前は箱の中で黙って聞いていれば幼い自分の娘に嘘八百吹き込んで、あんなことを信じ込ませて可哀想と思わんのか!」
口調は母そっくりだ。まさか、聞かれていたとは。
「この馬鹿息子!せっかんじゃあ!」
「ひえーっ」
雛人形は、すごい勢いで私に飛び蹴りキックを喰らわせた。眼の前で星がきらめいた。