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News - 2022.01.01

第207回 本音商会

 私はファッション・ブランドを主に扱う小売業。アパレル業界のはしっくれとでも言えばいいのかしら。洋装店、ブティックということもある。店を訪れたお客さまにお似合いの服をお奨めする。そしてお買い上げいただければ、店の売り上げが上がる。
 今日もお店を開店……「いらっしゃいませ。あれ?」
 入ってきたのは、なんだか印象の薄い人。あまりに印象が薄くて、向こう側が透けて見えるような気がする。男か女かもわからない。
 その人が言った。「いえ、客ではないんです。私は本音商会の者です。ご指示により三日間とり憑かせていただきます」
 この人、何を言ってるんだろ、と思う。これからお客さまが次々に来店される時間なのに。こんなやつの相手してる暇なんかないわ。
 早速ドアが開き、入ってきたのは中年の奥さま。いつも気前よく買物をしていただくお得意さま。
「いらっしゃいませ」「ちょっと春先に着ると良さそうなもの、探しにきたの」「どうぞ、ごゆっくりお探しください。ちょうどいろいろ入荷したところなんですよ」
 奥さまは色々探し始めるが、ときどき思う。この奥さま、少しセンスが変なのよね。でも本人が気に入っているならいいか。早速、数着の春の新作を。
「ねえねえ、これ、どうかしら」あ、やはり。
「なかなか、個性的ではないでしょうか」と言う。すると私の背後から声が。「そんなの着て表歩いたら、チンドン屋と間違われますわ」それは、内心ぼんやり思っていたこと。それが、声になって。振り向くとさっきの人だった。私の考えを声に出して言っている。奥さまは、まあ失礼なとばかり目を三角にして私を睨む。「私じゃありません、この人が」と指差すが。奥さまは「誰もいないじゃないの」
 影の薄い奴とは思っていたが奥さまに見えないほどとは。「奥さま、他にもいろいろといい品が入っています」と取り繕うが後ろの人が「まあ、どれも似合わないけどな。猿が着た方がもっとましだよ」と。
「なんてことを言うの?もう二度とこのお店にはまいりません」と奥さまは顔を真っ赤にして怒り出して帰ってしまう。
 本音商会は別段表情を変えてはいなかった。平然と私の後ろに立っているだけだ。
 これでは仕事にならない。私の心の汚れている部分がすべて晒されてしまう。誰が本音商会を雇ったのだろう。もっと私の心が清らかだったらよかった。私は店を閉めて家に帰った。本音商会がいなくなるまで、店を開けない。三日間我慢すればいなくなるわけだ。数日間不在にします、の張り紙を入り口に貼って店を閉めようとして驚いた「数日間不在にします。ホントは家にいるつもりだけどね」私の筆跡だ。振り向くと本音商会が手にペンを持っていた。こいつの仕業だ。
 家に帰るとサラリーマンの夫はこの日は休みで家に寝転んでいた。夫は驚いて立ち上がる。「どうしたんだ。店は休みなのか?」「こいつのせいよ」と本音商会を指差す。「え、どこ?誰?」夫には見えていないらしい。なぜ?でも、詳しく話したところでわかってはくれないだろうし。「いいわ。気にしないで」すると、本音商会が私の背後から私そっくりの声で続ける。「どうせ、あなたみたいな無神経な人に事情を話しても、わかりゃしないわよ。それより、ぐだぐだしている暇があれば気を利かせて、掃除の一つもやったらどうなのよ、このタコ」
 前半はそんなこと思ったかもしれないが、後半は本音商会の創作だと思う。いや、ひょっとすると心の隅でそんなこと思ったのかもしれないが、わからない。しかし、夫はてきめん怒り出した。家での過ごし方に自分でも引け目を感じていたのだろう。だから怒りもひどくなる。「なんてことを言うんだ。そんなことを言う前に自分こと反省したらどうだ。家のことはなんでも押し付けて、ぼくが努力しているのがわからないのか?この無神経女」
 夫も日頃の不満を口にする。何という言いようだ。売り言葉に買い言葉。私も、また言い返そうとして、待てよ、と思い直す。
 これで私の家庭が滅茶苦茶になったとすれば、私の本音のせいだろう。それは本音商会のせい。
 こうなったら三日間、誰にも会わずに部屋に籠もっておくしかない。しかし、誰が本音商会なんて私に差し向けたのかしら。しかも私以外には誰にも見えていないなんて。
 そんなことを悶々と考えながら三日間を耐え続けた。本音商会は私に寄り添い、独り言で「ふわあ、退屈だなあ」と漏らすと、律儀にも「この本音商会の邪魔者さえいなければ、仕事にも行けるのになあ」と付け加えてくれるのだった。ちゃんとわかっているじゃないか、と思う。
 やがて三日目が過ぎた。
「本音商会さん。これでもう私にとり憑くのは終わったんだねえ」
 本音商会は胸を張り「はい、これで請けている仕事はすべて終わりです」「私に取り憑けと命じた雇い主は誰なの?」「申し上げられません」「コンプライアンスというやつ?じゃあ、私が本音商会を雇うことはできるの?」「もちろんです」「じゃあ……」
 あなたを雇った人に今度はとり憑いて!と言いかけてテレビ画面に目が止まった。「この人にとり憑いてもらえる?」その方が世の中の為になる。
 それは、就任演説中の新首相だ。

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