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News - 2017.10.02

第155回 おとぎ苑にて

 久しぶりにケアハウスに行く。いまだ顔を出していないので気になっていたのだ。
 施設の名は「おとぎ苑」。私の父がお世話になっている。父も年齢を重ね、だんだんと自分には介護が必要になってきたと思い始めたのか、自分から施設に入ると言いだしたのだ。
 この施設も父が指定したものだ。どこでもいいというわけではなかったなかったようだ。父は、こだわりだけは人一倍強かったから無理もない、とは思う。私は入所のときも付き添うことはできなかった。今回が初めての訪問なのだ。
 思えば、父の存在は私にとって大きすぎた。そして父はあまりに有名すぎた。それが私にはコンプレックスとして刷り込まれた。父と比較されるのが苦痛だった。だから、日頃から私は父との繋がりを隠し続けていた。父ほどの力はないし、剣術もだめだ。部下を統率する能力もない。自分の能力にあった仕事をこつこつとやっていくのが一番向いている。そんな自分だから、父のケアハウスへの面会も今になってしまった。
 父の名は桃太郎。
 おとぎ話に出てくるヒーローだ。若い頃、鬼ヶ島での鬼退治で超有名になってしまった。持ち帰った金銀財宝の大半は人々に分け与えてしまったが、ほんの一部だけは残し、貯蓄に回していたらしい。それでこのような高そうなケアハウスに入れたようだ。「おとぎ苑」という名を選んだ父に成程と思ったものだ。
 昼下がりの施設を訪ねると、父は陽当りのいいテラスにいて、車椅子に座っていた。ためらいつつ近づき父を見た。間違いない。老いてはいるが私の記憶にある父の姿だった。かつてのように額には日の丸の鉢巻をつけ、車椅子の横には"日本一"の旗が付けられていた。
「お父さん」と声をかけると、父は私を見て数秒考えてわかってくれたようだ。「おお。おお」と嬉しそうに目を細めた。私が「おみやげ。甘いもの」と豆大福を差し出すと「おお。きび団子か。きび団子か」と歓声を上げた。豆大福を見てもきび団子と信じている。あえて訂正もできなかった。
 父の隣の車椅子では、老婆が眠りこけている。「オーロラ。オーロラ。きび団子はどうだ」と父が起こそうとするが目を醒まさない。父は私に言った。「若い頃は美女だったそうだ。眠り姫だよ。いや今は眠れる森の婆さんだ」驚いた。オーロラ姫と言えばシンデレラ姫と並ぶ有名人だ。
 それで、初めて気づいた。このケアハウスが特殊だということに。
「おとぎ苑」とは、文字通りおとぎ話に登場した主人公たちだけが入ることのできる老人施設なのだった。おとぎ話の主人公たちは物語の中では大活躍して、めでたしめでたしと話は終わる。しかし、話は終わっても現実の社会では主人公たちの人生は続いている。そして老いる。そんな人たちを受け入れてくれるのが、ここなのだ。
「そういうことだったの?」と感心すると「そういうことじゃ」と父、桃太郎は扇子をかざした。ほかには、どんな入居者がいるのだろう。父の車椅子の横を木彫りの人形が歩いていった。生きている。「あれはひょっとしてピノキオ?」「そうだ」「でも、最後、人になったんじゃなかった?」「いや、あれから世俗にまみれて、女神に愛想を尽かされ人形に戻されたようだ。古びちまったが嘘をつくと鼻が伸びるし、すけべごころを出すと下半身が......」
「あそこにも、すごい年寄りがいるけど」「ああ、浦島太郎だ。歳とってボケが入ってここに来たんだが、乙姫様に開けるなと言われてたのもわからなくなって玉手箱を広げたんで、ダブルで年寄ったんだ」
 かなり壮絶な末路をおとぎ話の主人公たちは歩んでいるようだ。廊下で長い髪を車椅子の車輪に巻き込んで悲鳴を上げているのはラプンツェルだろう。そしてフロア中央のベンジャミンの樹に灰を投げつけ籠を取り上げられていた老人は花咲爺いさんの末路なのだろう。
 中庭には、動物たちが放し飼いにされていた。狸やウサギや亀、蛙、猫。どれもおとぎ話に出てきたものばかりだ。足どりもたどたどしい。やはりここで余生を過ごしているのか。その中に犬や猿やキジの姿もある。なつかしい。私が子供の頃、父のところに遊びに来ていた思い出がある。
「あの中に、お父さんの部下たちもいるの?」
「ああ」と寂しそうに言う。
「呼んでみたら。ぼくも久しぶりだし」
「いや、もう来てはくれない。私が現役の時だけだよ」
 しかし、猿だけは窓際に駆け寄ってきた。
「父さん。猿は来てくれたよ。キビ団子じゃない。豆大福やろうか」
「いや、あれは部下だった猿じゃない。猿蟹合戦の猿だ。あそこでも嫌われて群れに入れてもらえず救いを求めているんだよ」
 それから、職員の勧めで施設中央の大浴場温泉で私は、父を風呂に入れてやることにした。父の背中を流そうとして、そのあまりの小ささに涙が出てきた。
 かつては人々から桃太郎さんと慕われるヒーローだったかもしれない。だが今はただの老人でしかない。これからはもっと孝行しなくてはと自分に言い聞かせた。そのとき思った。なぜ、今まで自分は父にわだかまりを持っていたのか、と。誰もが同じ道をたどる。残るのは伝説だけだ。
 帰り道、私はふと呟いていることに気がついた。
「それから、いつまでもいつまでも幸福に暮しましたとさ」
 そうであることを私は心の底から願いつつ。

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