News - 2025.01.01
第243回 ああ 煉獄!
正月二日の朝だった。一人暮らしの私は、暮れに買っておいた餅を焼いた。これが正月らしい今年初めての食事だ。レンジでこんがり焼いて砂糖醬油をつけて頬張る。香ばしい。美味しい。飲みこんだところで、意識が途絶えた。
何やらふわふわと浮かんでいる気がする。誰かが私の手を握って空の高い所へと飛んでいく。
「あ、あなたは誰です?私をどこに連れていこうとしているのですか?」
「おや、気がついたのですね。私は天使です」
なるほど、背中に翼がある。人間ではないようだ。上品な若い男性のように見える。だが人間ばなれしているような。ということは。
「そうです。お察しのとおり、あなたは正月のお餅を喉に詰まらせ、お亡くなりになりました。それで、天使の私があなたを天国にお連れしようとしているところでした」
なるほど、それで謎がすべて解けた。そうか。天国は高いところにあるんだなあ。
「まあ、ぼちぼちまいりましょう」
「わかりました。急ぐ旅でもないようだし」
私と天使は世間話をしながら上空へ上っていく。
「人生を終えて、いかがでしたか?私もいろんな方の人生を見ていたのですが、くわしく見ているわけではないもので」
「そうだなあ。思い返せばいろいろあったな」それは本音だ。しかし、誰でも人生はいろいろあるのではなかろうか?
「それは、それは。どんなお仕事をしておられたのですか?」と天使は尋ねてきた。
「私の仕事か。なんと言えばいいのか。人を欺く仕事と言えばいいかな…うわっ」
私の腕を握っていた天使の手がはずされた。おかげで真っ逆さまに落ちていきそうになった。あわてて私は天使の腕を握り、墜落をまぬがれた。
「危ないじゃないか。急に手を離したら、下に落ちてしまうところだった」
「あなたは人を欺す仕事をしていたのですね。それは詐欺師ということではありませんか。そんな人物を天国に連れていくわけにはいきません。地獄行きが当然です」
「うわっ」私の足が重くなる。下を見ると、私の足を黒っぽい角をはやしたものがつかまり、引っ張っている。「くひひひ…悪人は地獄がお似合いさ」と、うそぶく。こいつは…「地獄からお迎えに来たよ」こいつは悪魔だ。
あわてて言う。
「誤解しないでくれ。人を欺す仕事と言って、けっして悪いことはしていない。私が生きているときの仕事は“奇術師”なんだよ。人は私の術に欺されて大喜びをする。これが、悪いことか?」
天使が、しっかりと私の手を握りなおした。
「なるほど。それは悪人とは言えませんね。もう少しで手を離して地獄へ落とすところでしたよ」
ふーっ。私は安心して溜息をつく。危い。危い。なんとか助かったようだ。すると、足の方でちぇっ!という舌打ちが聞こえた。地獄の悪魔だ。「何を善人気取りでいるんだ。俺が目星をつけた奴は、必ず何か悪いことをやっている。いや、ほとんどの人間は黙っているが悪いことをやっているのが普通なんだよ。俺がこちょこちょすれば嘘がつけなくて本当のことを言うんだよ。そしたら地獄行きだ。さあ、言ってみろ、こうだ。こちょこちょ」と悪魔は私の足の裏をくすぐる。苦しい。なんと、本当のことを言いたくなってくる。助けてくれ。こちょ、こちょ。たまらん。
「言う。私がやった悪いことだ。満員のエレベーターの中でおならを出してしまったことがある。鼻がもげそうな臭気だったが知らんふりをした。おならしたのは誰だ!と皆が怒っても口を割らなかった。今となっては、なんと悪いことをしたのだと反省している」
悪魔が嬉しそうに笑った。「なんと、大悪人ではないか。さあ、俺と地獄へ行こう」天使も「もっと正直な人と信じていたのですが」と手を離しそうになる。私はあわてて叫んだ。「そのことは反省しているよ。だから私はその罪滅ぼしに善行を重ねた。横断歩道を渡れないお年寄りの手を引いてやったし、貧しい子のいる家庭にランドセルを贈った。それでもエレベーターのおならの罪は消えないのですか」
天使と悪魔の動きが止まった。私の生前の行いについて、判定がうまくできないで、フリーズしてしまったようだ。
地獄に行かないのはいい。しかし、このままだと、宙ぶらりんのまま。これが煉獄という状態というわけか。それは困る。どちらかに行くべきだろうが。すると上で声がした。「まだ連れてこないの?」また天使だ。女の声だ。見上げると魅力のない女性天使が舌打ちしていた。
「いや、判断に迷ってね」「さっさと連れてくればいいのよ!」と私の手を引っ張る。すると下でも声が。なんとなまめかしい、私好みの女性悪魔が「あら、なかなか連れてこないと思ったら。でも素敵な彼ね。私も手伝う」と足を引っ張り始める。上からと下から。力が拮抗する。全身が引きちぎられそうだ。
エーイ!!と天使たち。
ソーレ!!と悪魔たち。
その拍子に喉の奥から何かがぴょんと飛び出した。
喉に詰まらせていた餅だった。
気がつくと自分の部屋にいた。
おかげで無事に生き返ったものの。
これからは、もっと悪い人間になろうと考えてしまうのだ。何故かって?
あの、艶っぽい私好みの女性悪魔のことを思い出すと、どうやったら地獄へ行って女性悪魔に逢えるのかと考える日々なのだ。