News - 2020.02.01
第183回 父を知る
父が元気な頃は、ほとんど言葉を交わさなかった。相性が悪かったといえばいいのか。何故あんなに嫌っていたのだろう。父も私に話しかけてくることはあまりなかったし。何が趣味というわけではなく、夕方私が学校から帰ると父も仕事先から帰宅し、座敷でひとり本を読んでいた。扶養してもらっている恩義はあったが、それ以上の感謝ではなかった。親の義務という甘えもあった。母が心配してもっとお父さんと話したら、というが、そんな気にならなかった。
だから、結果的に私は父の職業さえ知らないまま独立するように家を出た。それからはアルバイトで学費を稼ぎ自力で大学を出た。それで、実家とは縁が切れたように感じていた。そして母の訃報が届いた。母は自転車に乗っていてトラックにはねられ、あっけなくこの世を去ったのだ。葬儀でも父とは最低限の言葉しか交わさなかった。
再び私は自分の仕事に戻った。母があの世に去ってからまもなく、突然警察から父の死が伝えられた。何の驚きもなかった。いつか誰かからそんな知らせが来ることもあるのではないかと思っていたからだ。父は心臓の病だった。自宅にひとりでいたらしい。倒れているところを町内会長に発見された。すでに事切れていて警察の検死も受けたということだった。
火葬が終わり骨壷に入った父の前で、私は遺品の整理を始めた。どれ一つ見たことのない品々。太く長い木箱は押し入れの奥にあった。開けると黒いトゲトゲの鉄棒が入っていた。何に使うものだろう。私の背丈ほどの長さだ。どこかで見たことがある。しかし、思い出せない。というより、こんな重いものを何故持っていたのか?
近くに黒い文箱のようなものが置かれていた。この部屋は父の部屋だったので、何が置かれているかなぞ興味もなかったのだ。無意識に文箱を開けた。何だかモフモフした手触りのものが入っている。毛皮の衣類のようなもの?縞模様がある。下着?
ブリーフだった。これは……虎の毛皮た。そしてもう一つ木製の箱が。中に入っていたのは見たことはないが懐かしいイメージの木製のハンマー。いや、確か木槌というのでは?何かのおとぎ話に出てきたような。一寸法師だ。鬼が落としていったのは打出の小槌といったっけ。何故こんなものが、ここに。
まさか?
その木箱の下には、分厚い赤い表紙のノートが。そのノートを恐る恐る開いた。
見覚えのある父の文字だった。それは父の日記だった。何が書いてあるのか?
あるページが目に飛び込んできた。
「今日は節分だ。早くから仕事に没頭した。洗っておいた虎皮のパンツに着替えて、本部指定の場所をまわる。飲めば12時間肌が赤く変化する鬼ドリンクを服用して。金棒の重さが最近はこたえる。もう歳なのだろうか」
そう言えば、節分の豆まきをする日は父は家にいたことがない。母は当直だと言っていたが、あれは……。
この日記が本当だとすれば、父の職業は……“鬼“だったのか。
信じられない。“鬼“という仕事で生活が成り立つのか?母は知っていたのだろうか?
知っていたに違いない。父が不在の時にはいつも洗濯していたではないか。あれは鬼の居ぬ間の……。
日記の他のページを開く。
「今日は家内の紹介のママ友会で講習。タイトルは“賢い鬼嫁になるには“で。皆、役に立てただろうか?」父は鬼の講師もつとめていたのか!そして、自分は最後まで本当の父を知らなかった。他のページの日記。
「息子が私の正体を知ったら、どのような反応をするだろう?だから本当のことを伝えられない。考えると涙が……鬼の目にも涙というのは本当だなあ」
すると私の身体にも鬼の血が流れているのだろうか?まさか。来年の計画について後輩に聞かれたとき、何故か大声で笑ってしまったのは……自分でも不思議だった。
あれは…来年のことを言うと鬼が笑うという身体に先天的に備わった条件反射なのか。
しかし、しかし。父は普通の中年男にしか見えなかった。
鬼ならば頭に角が二本生えていたはず。そんなものは父の頭にはなかったが。
仏壇に置かれた骨壺に手を伸ばす。
確認するには、この方法しかない。
壺を開けると、白い骨が見えた。そして二本の三角錐のような磨かれた骨がある。
これはまさしく鬼の骨だ。やはり父は正真正銘の鬼だったのだ。
そのとき、私の頭に違和感が!体内で鬼が発動しようとしている。耳が尖っていく。額から角が生えてくる。やはり私も父の血を引く鬼だったのだ。しかし、この状況をどうすればいい?父は知っていたはずだ。
その隣の木箱を開くと透明な頭巾が入っていた。本能的にそれを被り鏡を見た。何ということか。角が消えていた。私は、ほっと胸を撫で下ろす。そして呟いた。「父さんのこと何も知らなかった。僕もお父さんの後を継ぐよ。やれるかどうかはわからないけれど。立派な鬼を目指して」
私は透明な頭巾の入った小箱を見た。
その表面にはこう書かれていた。
「角隠し」