News - 2020.04.01
第185回 伝説の食堂
恋人の和子が行ってみたい食堂があるという。レストランでもなく、オープン仕立てのカフェでもない。
食堂というのが不思議だったが、和子がごちそうしてくれるというならかまいはしない。
出会って半年というところか。私好みの美人だった。知り合ったのはSNS上だ。和子の投稿に私がコメントしたのがきっかけだった。たがいにコメントをつけあうようになって、同じ地方都市に住んでいることがわかり、話題も盛り上がっていった。おたがいにダイレクトメールで顔写真を交換すると、和子は意外と美人ということがわかった。気に入った。
それは和子も同じのようだった。
私が和子に夢中になっていったのは当然のことだろう。だから、コメントをSNSで交わしあう内に、自分をカッコよく見せたい気持ちもあり、かなり脚色して書き込んだ部分もある。収入は現実の三割増しくらいで伝え、学歴も詐称してしまったのは反省してる。
そして私は和子と実際に会った。SNSでは写真と実物が別人くらい食い違っているケースが多いのだが、和子は写真通りの美しさと可愛さだった。私の好意が愛情に変わった瞬間だった。
それから私は和子に好意を持たれるように、自分のすべてを繕って彼女に接するようになった。出会う前に写真だけは私の日常のものを見せていたのだが、幸いなことにそうハンサムでもない容姿を和子に気に入ってもらえたことには、感謝してもしきれないのだ。
私と和子は交際を続けることになった。そして、私は和子に結婚を申し込むことにした。
「大事な話をしたいのだけれど」と伝えると、店で食事をしながら聞く、という。それがこの“行ってみたい”食堂だったというわけだ。警察署の隣りにあるからすぐわかると和子は言った。
店はすぐにわかった。
小さくて古かった。昭和の初めからあったかのような食堂だった。すでに中で和子は待っていた。老夫婦でやっているようだ。和子が選ぶくらいだ。そんなに美味しい食堂ということなのか。
「日替わり定食でいいですか?」と和子が言う。それで構わない。お婆さんがすぐに持ってきた。変わったところもないアジのフライと豚汁、それにご飯と香の物。「いただきます」と箸をつけた。普通の味だ。出来立てということを除いては特別に美味しくはない。ただ、懐かしい味だった。
「話ってなんですか?」食べ終わると和子が尋ねる。もっと考えながら伝えようと思ったのに、素直に口から出て自分でも驚いた。「和子さん、結婚してください」
彼女はすぐにはそれに答えず、私に尋ねてきた。
「経済的にやっていけるの?」
そうだ。これまで私は彼女に見栄を張ってきた。「実は前に言ったのは嘘で、薄給なんだ」なんで正直に言ってしまうのだろう。
「そうですか。他に嘘を言ってたことはないんですか?」
「あ。学歴は高卒でした。国立大卒と言ったのは嘘で、和子さんに好かれようと」
どうしたというのだろう。尋ねられると、これまでついていた嘘を白状してしまうのだ。まずいと思うが、止められない。
「趣味は読書と言ったけど、本なんてこれまで三冊しか読んだことない」
言葉が下痢症状を起こしたかのようだ。
「でも、これだけは本当だ。和子さんのことが大好きだ。一生愛してる」
「私も本当のことを言うわ。私は四十二歳。あなたより一回り上よ。それでもいいの?」
「もちろんだ。和子さんのことが大好きだ」
和子はじっと私の目を見て、プロポーズを受けると答えたのだ。私は大きくため息をついて安堵した。そして言った。「ありがとう」と。
「なんでこの店を選んだかわかる?」と和子が言った。わかるはずもない。
「ここは伝説の食堂なの。『正直屋食堂』といって、ここの料理を食べると本当のことを話さずにはいられなくなる…と言われてる。だから、大事な話と聞いたときに、ここで食べながら、ってお願いしたのはそういうことよ。そしてわかった。伝説は本当だった。あなたは本当のことを包み隠さず話してくれた。そして私も本当のことを話すことが出来た。自分の本当の年齢のことをこれまで誰にも話したことなかったのよ」
それで、この店を…。私は和子の気持ちが少しだけわかったような気がした。彼女は二人の間に嘘がないことを願ったのだ。
「料理はどうでした?美味しかった?」と和子に尋ねられた。「ああ」と答えようとした私だが、口をついて出たのは「うーん。普通の味かな」
それを聞いて和子は満足そうにうなずく。
そのとき、奥で電話が鳴る。お客の注文のようだ。お婆さんがお爺さんに叫ぶ。
「出前が入ったよ。至急、隣の警察署にね。取調室にカツ丼一丁だって」